ACミランが大敗を喫した4日のナポリ戦後、MF本田圭佑が残した発言が、イタリアで大きな波紋を起こしている。

「ミランの再建には、マンチェスター・CやパリSG並の投資が必要。さもなくばクラブ経営の再編を」

「1億ユーロの補強資金を費やした代表選手揃いのチームがなぜ力を発揮できないのか」

「経営陣、監督、ファン、メディア、イタリアのすべての価値基準を変える必要がある」

 チーム低迷の分析と自らの出場機会減少への疑問に端を発したその夜の放言は、監督の采配やクラブの経営方針、イタリア・サッカー界全体への啓発にまで及んだ。

 多分に皮肉のトーンを含んだ苛烈な言葉は、本田自身が「イタリアのメディアにも伝えてほしい」と付け加えたことで、翌々日には現地紙など多くの媒体が競って報道。満天下に広く知られることになり、大反響を招いた。

内容は正論、問題になったのは「立場」。
 とりわけ『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙のWeb版記事には、ミラニスタだけでなく、インテルやユベントス、ローマやナポリといった他の有力クラブのファンらが多くのコメントを寄せた。ヒステリックな糾弾から冷静な考察まで、彼らは本田発言の是非に声を上げた。

 短絡的な拒否反応を除けば、本田の訴えにある程度の理解を示す者も多かった。こういうときは、別クラブのファンの方がかえって冷静な思考に至るものだ。

 ただし、ミラニスタであるか否かを問わず、“本田に全面的には賛同できない”という根本的な態度ははっきりしていた。あるユベンティーノの冷静な書き込みに、その理由が集約されている。

「本田の言う事は完全に正論。しかし、彼は言うべき立場にない」

 一選手が、雇用主であるクラブの経営に口をはさむことや監督の考え、他の選手の処遇について口出しすることは、欧州の契約社会における絶対的なタブーだ。本田の言葉は、勇気ある告発ではなく“無分別な暴言”として捉えられたのだ。

本田の発言は明確な越権行為。
 本田は「契約下にある選手」、「監督」、「経営者」という各々の相互関係と職域を犯し、プロとして欧州社会の不文律やマナーを破った。

 読者の中には、あれは健全な批判ではないのか、と思われる方もいるだろう。だがこの場合、言い方や言葉の中身は問題ではない。

 選手契約を結んだ立場にある人間には、公の場で所属クラブの経営に疑問を呈する行為そのものが許されない。もちろん、絶対的な上司である監督の仕事のやり方に口を挟むこともタブー行為にあたる。

 イタリア人の労働観については、いい加減だというステレオタイプがまかり通っているが、最終的には法律がモノを言う契約上の関係について、彼らが日本以上に自らの職務に厳格に専心する場面も多い。合理的なイタリア人は、絶対に上司と飲みには行かない。

 ナポリ戦後の「なぜ(自分が)出られないのかわからない」、「代表クラスのチームメイトたちがなぜ生き生きとプレーできないのか」という本田の発言は、ミハイロビッチという上司に対する明確な越権行為にあたる。

 口幅ったい言い方になってしまうが、これはサッカー界を越えた欧州社会全体の共通認識だといっていい。

「本田のためにヒットマンを雇うはずだからさ」
 日本を出ている身の本田は「どうせ(イタリア・メディアは)さんざん僕のことを叩くんでしょう」と皮肉った。

 だが、『ガゼッタ』紙を初めとする現地紙の報道は、彼を非難するものではなく、むしろクラブ批判というタブーを犯した本田の身を案じ、発言のトーンを和らげたと思われる記事が大半だったのだ。執筆した一人の記者に理由を尋ねたところ、返ってきた答えに苦笑させられた。

「さもなきゃ、自分たちの仕事に口出しされて怒り狂ったガッリアーニかミハイロビッチが、本田抹殺のためにヒットマンを雇うはずだからさ」

 もちろん冗談だが、本田の発言は、そういう反応を受けても仕方ない、と思わせるほどモラルに反する行為だった。

 だから、日頃イタリア向けの発言に乏しいために沈思黙考の人物と見られている本田のクラブ批判に現地メディアは驚き、その内容に多くのファンが理解は示しつつも、共感することを拒んだのだ。

経営へ口出しするなら、社会的な反発も必至。
 '12年夏、FWカッサーノ(現サンプドリア)が、補強方針に異を唱えてミランを出て行ったときも、彼へ同調する向きはほとんど皆無だった。

 問題児カッサーノは、そもそもトラブルメーカーとして有名だったし、在籍中に発症した心臓疾患から命を救ったクラブに対する恩はないのか、とあらゆるサッカーファンが反感を抱いた。未完の天才のプレーをグラウンドで見る分には楽しいが、雇う立場やチームメイトたちからすると、和を乱す厄介者としか映らない。経営へ口出しするのなら、クラブ内部のみならず、社会的な反発も覚悟しなければならない。

 本田は自らの発言を「イタリア・メディアへ伝えてほしい」と言う前に、自らが属するクラブを相手にした場合の社会的影響について、考えを巡らせるべきだった。ただ、そういったことをケアするのは、本来代理人やサポートスタッフの仕事だ。

 本田のチームメイトである悪童FWバロテッリも、クラブオーナーのベルルスコーニの前では、借りてきた猫のように大人しい。圧倒的な実績と“俺様主義”で知られるFWイブラヒモビッチ(パリSG)ですら、ミラン在籍時にはクラブの経営へ不用意に口を挟むことはしなかった。仮に彼らが問題発言をしたとしても、欧州屈指の大物代理人ライオラが、クラブ上層部へ圧力をかけて迅速に火消しを図る。

 世界の頂点に長く君臨したミランは、言い換えれば海千山千のビジネス・マネージャーや代理人という名の魑魅魍魎が跋扈する棲家だ。ミランに限らず、レアル・マドリーであろうが、バイエルンであろうが、欧州の名門ビッグクラブとは多かれ少なかれそういう場所に他ならない。

本田の訴えの内容は、ファンも充分に理解している。
 本田が暗に訴えた“経営方式を改めよ”というミラン再建への考えは、ミラニスタたちも十分すぎるほど理解している。最後のスクデットの原動力だったFWイブラヒモビッチとDFチアゴ・シウバを売却した'12年夏以降、サンシーロの経営陣批判が止んだことはない。

 ミランの抜本的な組織改革は、ベルルスコーニが退くまで現実的に不可能だ。再建を阻む元凶が、ガッリアーニ副会長と名誉会長ベルルスコーニの老害2人にあることは、ミラニスタのみならずイタリア人なら誰もが熟知している。しかし、今回の報道に対する反響の中で、あるインテリスタが書き込んだ「本田の言っていることは、ゼロか100か、典型的な日本式思考法だ。極端すぎる」という指摘も事実なのだ。

文化的摩擦を越えた先に、真の活躍がある。
 正論、だが、受け入れられず。

 本田は「イタリアの評価基準を変えるべき」とも訴えたが、日本人である我々の方も、今回の批判騒動で浮彫りになった欧州社会の根底にある価値観や社会常識の壁を正しく理解する必要があるのではないか。さもなければ、どちらの考えも一方通行のまま終わってしまう。

 自らの考えを世に問うた本田の言葉は真摯なものだった。だが、彼の言葉は言語の違い以上に、その文化的差異によって説得力を持たなかった。“日本もイタリアも関係なく、通じるはずだ”という情に偏った考えは、あまりにナイーブだ。「個の意見を持つこと」と「自分が所属する世界の社会常識を無視すること」を混同してはならない。

 組織としてのミランは、罰金なり出場停止なり、何らかの処分を本田へ下すだろう。

 本田は、あらためて日本と異なる社会での精神的ジレンマと直面しているのだと思う。グラウンドでのプレーが何より大事であることは言うまでもないが、今回のような文化的摩擦を幾度も越えた先に、欧州サッカーにおける日本人選手の真の活躍があるはずだ。