レトロな文字のパッケージとネーミングが目を引く洗濯用せっけん「ウタマロ」。汚れに強く白さを取り戻すと人気で、年間900万個を出荷する。約60年前に発売し、洗濯機が普及した影響でいったんは需要が減少。廃番の危機に見舞われたものの、復活を実現させたのは愛用者の声だった。
東邦は1920年、西本石鹼(せっけん)製造所として始まった。創業者・西本辰蔵氏のひ孫にあたる西本武司常務取締役(34)によると、当時はせっけんは貴重品だった。
ウタマロの発売は57年。日用品の卸問屋を営んでいた宮井産商(東京)が洗濯せっけん市場に乗り出そうと、製造を委託する各地のせっけんメーカーを調べたところ、汚れ落ちの良さなどから東邦(当時は東邦油脂)が選ばれた。宮井産商の当時の社長が浮世絵を好んだことから、喜多川歌麿のように広く親しまれる商品を目指して「ウタマロ」と名付けたという。
その頃の洗濯は、洗濯板とせっけんを使うのが主流だった。ウタマロの売り上げも好調で、ピーク時は年間300万個を出荷した。
だが、60年代以降は、電気洗濯機が家庭に普及。粉洗剤が主流となり、ウタマロの売り上げも低下した。東邦でも粉洗剤の製造を始め、売り上げの比率は粉洗剤が逆転した。
98年に宮井産商が廃業。それに伴いウタマロも廃番となることを小売店などに知らせたところ、利用客から「ウタマロで汚れがひどいところを洗ってから洗濯機を使うと、どんな汚れも落ちる。部分洗いに欠かせない」などと存続を望む声が寄せられた。
東邦はこの時初めてウタマロが「部分洗い」に使われていることを知った。武司常務は「うちの商品の良さをお客さんから教えてもらったんです」と話す。
東邦は1920年、西本石鹼(せっけん)製造所として始まった。創業者・西本辰蔵氏のひ孫にあたる西本武司常務取締役(34)によると、当時はせっけんは貴重品だった。
ウタマロの発売は57年。日用品の卸問屋を営んでいた宮井産商(東京)が洗濯せっけん市場に乗り出そうと、製造を委託する各地のせっけんメーカーを調べたところ、汚れ落ちの良さなどから東邦(当時は東邦油脂)が選ばれた。宮井産商の当時の社長が浮世絵を好んだことから、喜多川歌麿のように広く親しまれる商品を目指して「ウタマロ」と名付けたという。
その頃の洗濯は、洗濯板とせっけんを使うのが主流だった。ウタマロの売り上げも好調で、ピーク時は年間300万個を出荷した。
だが、60年代以降は、電気洗濯機が家庭に普及。粉洗剤が主流となり、ウタマロの売り上げも低下した。東邦でも粉洗剤の製造を始め、売り上げの比率は粉洗剤が逆転した。
98年に宮井産商が廃業。それに伴いウタマロも廃番となることを小売店などに知らせたところ、利用客から「ウタマロで汚れがひどいところを洗ってから洗濯機を使うと、どんな汚れも落ちる。部分洗いに欠かせない」などと存続を望む声が寄せられた。
東邦はこの時初めてウタマロが「部分洗い」に使われていることを知った。武司常務は「うちの商品の良さをお客さんから教えてもらったんです」と話す。

