まずはチベットの歴史を簡単にまとめてみました。
チベットは清(1644-1912)の崩壊とともに独立国家としてスタートさせました。しかし、1950年に中国人民解放軍により侵略を受け、チベット全域を併合されてしまうのです。
1959年3月10日、中国は影響力のあるチベット仏教の指導者であるダライ・ラマを観劇に招待しました。→ しかし、拉致を恐れた30万人もの市民が「ダライ・ラマ」が住む宮殿を囲い、連れ去られることを防ごうとします。
同3月12日、抗議者たちがチベットの独立を宣言
同3月19日、中国が宮殿の近くを爆撃
これがきっかけとなり、ダライ・ラマ インドへ亡命しました。
よって、チベットに旅行へ行きたい!
と考えても、チベットは中国の一部という事なので、チベット大使館は存在しないのです。
中国がチベットの独立を認めない理由!
その1 中国の分裂を防ぐため
実は中国には56もの民族が存在します。(約94パーセントが漢民族です)チベット民族の独立を許してしまうと、他の民族も
「チベットの独立を許すなら、うちらも独立させてくれ!」と大騒ぎになってしまいます。他の民族が独立してしまうと、中国という国が小さくなってしまいます。
その2 軍事的な拠点
チベットという地域は国境に面しています。1959年、曖昧な国境をめぐり「インド」と「中国」は武力衝突がおきています。チベットに独立されてしまうと、軍事的な砦を失うことになります。
その3 豊富な資源
チベットには豊富な天然資源(銅、鉄鉱石、ダイヤモンド、マグネシウム、鉄、石炭、クロムなど)が存在しています。
そのため、2006年に3500億円をかけ「青海‐ラサ間」に鉄道を開通させました。チベットには核の材料となるウラン鉱山もあり、この資源を失うことは中国にとって不都合というわけです。
これらの利権を守るために、チベットの人に対し暴力を振るう等、人権が侵略されていると伝えられています。
チベットは清(1644-1912)の崩壊とともに独立国家としてスタートさせました。しかし、1950年に中国人民解放軍により侵略を受け、チベット全域を併合されてしまうのです。
1959年3月10日、中国は影響力のあるチベット仏教の指導者であるダライ・ラマを観劇に招待しました。→ しかし、拉致を恐れた30万人もの市民が「ダライ・ラマ」が住む宮殿を囲い、連れ去られることを防ごうとします。
同3月12日、抗議者たちがチベットの独立を宣言
同3月19日、中国が宮殿の近くを爆撃
これがきっかけとなり、ダライ・ラマ インドへ亡命しました。
よって、チベットに旅行へ行きたい!
と考えても、チベットは中国の一部という事なので、チベット大使館は存在しないのです。
中国がチベットの独立を認めない理由!
その1 中国の分裂を防ぐため
実は中国には56もの民族が存在します。(約94パーセントが漢民族です)チベット民族の独立を許してしまうと、他の民族も
「チベットの独立を許すなら、うちらも独立させてくれ!」と大騒ぎになってしまいます。他の民族が独立してしまうと、中国という国が小さくなってしまいます。
その2 軍事的な拠点
チベットという地域は国境に面しています。1959年、曖昧な国境をめぐり「インド」と「中国」は武力衝突がおきています。チベットに独立されてしまうと、軍事的な砦を失うことになります。
その3 豊富な資源
チベットには豊富な天然資源(銅、鉄鉱石、ダイヤモンド、マグネシウム、鉄、石炭、クロムなど)が存在しています。
そのため、2006年に3500億円をかけ「青海‐ラサ間」に鉄道を開通させました。チベットには核の材料となるウラン鉱山もあり、この資源を失うことは中国にとって不都合というわけです。
これらの利権を守るために、チベットの人に対し暴力を振るう等、人権が侵略されていると伝えられています。
