広島原爆の日から八十年 | 羽路龍也の悩みの種

羽路龍也の悩みの種

悔しいままでは終われない。

広島に原子爆弾が投下されて今日で丁度𝟖𝟎年。

 

𝟖𝟎年前の今日、つまり

𝟏𝟗𝟒𝟓年❪昭和𝟚𝟘年❫𝟖月𝟔日午前𝟴時𝟭𝟱分、𝙱𝟸𝟿から投下された原子爆弾・リトルボーイによって広島の街が消えた。

 

広島の原爆に関して具体的な事を知ったのは小学校四年生の時。

 

平和学習で多目的室で戦争に関するアニメを見ました。

確か原爆の子の像から、

像のモデルである佐々木禎子さんが現れて、主人公の女の子を走って原爆ドームに案内してました。

 

中でも覚えてるのが、

広島県産業奨励館のドーム部分の銅がなくなり枠組みになったシーン。

 

随分前に見たアニメなので、記憶を頼りにアニメのタイトルを調べてみました。

そのアニメは恐らく『つるにのって 「ともこの大冒険」』。

 

中学では毎年この日になると、

夏休み中にも関わらず、平和登校がありました。

 

登校と言っても学校ではなくホールを学校で借りて戦争に関するビデオを見ていました。

 

それからこれといって戦争について直接学ぶ機会はありませんが、

今でもこの時期になるとこの事を考えます。

 

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 

アジア・太平洋戦争の写真では毎回必ずと言っていいほど登場する原爆ドーム。

 

原爆ドームも後世の人達の為、戦争の悲惨さを伝える為、

二度とこのような悲劇を繰り返さない為にも、

あの焼け爛れた形でこれからもずっと遺り続けますように。

そして一刻も早くこの世の中から戦争が撲滅しますように。