私の働いていたT.M.リハビリ病院で,ある看護師が認知症の寝たきり
の女性を思いっきり平手うちをしているのを目撃し上司に報告したら
あの人は、少し病んでるから許してやってといわれた。
毎日、患者様とその家族の悪口、噂話が耐えられなくなり、ここは、
私のいる土壌じゃないと3ヶ月でやめました。
私が、フリーになってから、母の転院が決まり移動しました。そこは、私の
前の職場の反対側にある病院です。東武練馬駅をはさんで仕事帰りに
母を見れると思い、選んだK.M病院、朝霞台の病院から退院する時は、
顔色もよく、会話もできとても良い状態でした。悪い予感は、その時から
ありました。入院してその晩から母の状態は、変化していきました。
入院して5日目、夕方面会にいくと、母の顔色が悪く声をかけても
返事もないので看護師を呼びました。私が「、脳虚血おこしてる」と
早い対応を求めたにもかかわらず、何にもしようとせず、看護師に
血圧測ってというと、中国なまりの看護師が、80と40と返事してくれた。
だが、そばにいたある看護師が、血圧を測った看護師を、なぜ測った?
と叱っていた。血圧40くらい平気だといい余計な口出しするなというような
言葉で脅しあなたのような家族は、どこの病院も取ってくれないよ。と
言い放ち他の看護師を引き連れて立ち去っていきました。
母の顔も見るのでもなく、何の対応もしようとしないため、あわてて
母の頭を下げ、足を上げて2時間ほど様子をみました。幸いにも
母の顔色がよくなったので安心して帰りました。
それからまた、1週間たち、夕方面会にいくと、母がのどをごろごろと
鳴らしすわったまま意識混濁状態にあり顔色も悪く、声をかけても
刺激与えても反応無いため、看護師を、呼び、吸引してもらうが、
「痰いっぱいじゃないお昼ちゃんととってあげたの?」と笑いながらの
対応、母の顔色なんて興味ない様子で帰っていかれた。
日勤看護師がいなくなって、母の意識は、混濁したまま、担当医に連絡を
というと、土、日は、お休みなんで、当直の先生にみてもらうこととなり
見てもらったが何の処置も無いため、
またこちらから「、酸素とかないんですか?」
に、やっとしてくれました。その、当直の先生いわく
、僕は、ここの人間じゃないんでと
救急以来もせず他のカルテ記入をしている始末。
母の、意識が、あまり回復しないので、119番し事情を説明するが
、病院からの要請は、先生の指示でということで
簡単には、ことが運ばないということにきずいた。
1時間ほどして、担当医が「、休みなのにあなたが出て来いって言ったから
きました、」とだいぶ激怒しておられた。母が、痰が絡み呼吸困難になって
意識レベルがおちてるのに医療を受けさせてくれないのかと嘆願しても
がんとして動かず自分達の落ち度にきずいていない様子だった。
そのうち、担当医と看護師達が部屋を立ち去りしばらく放り出されたような
状態で時間だけがすぎていき母、は、点滴さえしてもらえずにいるこの現状
納得いきませんね。
朝霞台の病院で退院する時、内科的な精査
、胃婁増は、今度の病院でやってもらってください。といわれ、このK.M 病院にきたつもりでした
。私は、母を、見殺しにきたわけじゃないんです。こんなことを、やっていたら殺人者になってしまいます。
この現状が、療養病院だとしたら、勘違いもはなはだしいとおもうんですが、
患者が窮地に追い込まれ、それも病院がわの怠慢によって起きていることなのに
緊急性のない態度、裏切られたようなきもちです。
母のために、後悔のない介護をと、奄美からつれてきたのに、本当に
後悔しています。先生と看護師のちっぽけなプライドのために
母は、命をおとさないといけないのでしょうか。
ナースステーションに集まってなにやら笑い声も聞こえる中
この人たちに、人間の感情があるのかと思い困惑した思いで病院
を、あとにしてきたばかりです。
療養という名の自分達の怠慢でおきた事故を、寿命だとかたずけられるって
ほんとに悔しく思います。勝てないのがもっと悲しいです。
今は、母の、意識が回復するよう祈るしかないのです。