第一話【偶然の産物】

第二話【再会がもたらすもの】 作/諒  Produced by 江彰 透

第三話【約束】

第四話【意固地】 作/諒  Produced by 江彰 透

第五話 【心の扉】









私はママの言葉を思い出しながら、先輩のメールアドレスが書かれた箸紙をバッグの底から取り出した。
几帳面に書かれた先輩の文字を見つめながら、私は大きな溜め息を一つ吐いていた。


小料理屋に勤め出して、私の素性を打ち明けたのは、ママと父親の存在のような藤枝さんだけ…
昔から知っている先輩とは言え、再会したての彼にどうして身の上話をしてしまったのかと、今更ながら考え込んだ。


お酒が入っていた勢いからだったのか…
久しぶりの再会に気持ちが緩んでしまったからなのか…
それとも、私は先輩に何かを求めようとしていたのか…
その想いが過ぎった時、私は思わず大きく頭(かぶり)を振った。
ううん、違う。
私が誰かに何かを求める筈がないじゃない。そんな気持ちを私が持つ筈はない…そう頭で何度も否定した。


(そやけど、あのひと気さくやし、おもろいし、それとほんまやさしいな、ええ先輩やであの人、ちょっと変わってるけどな)


頭の中で否定するのとは裏腹に、ママの言った言葉が私の頭の中をふと掠めていく。
「ちょっと変わってるけどな」その言葉に私はつい思い出し笑いをしてしまう。
学生の頃の先輩の姿が私の脳裏に、ふと描き出された。
確かに先輩はいろんなタイプの人と交流していて、変わっていると言えば変わっていた…
でも、そういうキャラが私には羨ましくて、先輩のことをいつも見ていたんだっけ。
先輩のメールアドレスを見つめながら、ニヤニヤする自分の顔が、家の玄関に置かれた姿見に映って私を驚かせる。


ここ十数年はしていなかったであろう自分の楽しそうな顔に、私の胸がドクンと大きな音をたてた。
この鏡に映っているのは私であって、私じゃない…
楽しそうな顔を浮かべていた自分を否定し、邪(よこしま)な感情を抱いた自分を否定しながらも、そんな顔をしてしまった自分をどうしても拒みきれない。


こんな風に私が葛藤することは初めてのことだった。
この十数年で作り上げられた自分という殻を叩くのも初めてのことだった…
そして、その殻がこんなにも硬く、閉ざされていたことを初めて知った。
いや、本当は知るのが怖かっただけ。
この殻を打ち破るだけの力が私にはないと思い込んでいたからだった。
本当は私だって幸せになりたい――
私は言葉にこそしなかったが、葛藤の中でもがいている自分にようやく目を向けたのだった。



結局、私はモヤモヤした葛藤から抜け出すことが出来ず、先輩のメールアドレスにメールを送ることがないまま、一ヶ月を過ごした。
明後日の日曜日は、小料理屋の常連さんを引き連れて、盛大に行う恒例の忘年会だった。

「明日、たっしゃんが来る言うてたけど、ホンマに来るんやろうか」

「ママ…たっしゃんって?」

「あんたの先輩、田村さんのことに決まってるやないの!」

ママが呼び名を付けるのは、相当気に入られた客だけだ。ママが惚れ込む客なんて早々いないことを知っているだけに、また、私の中で先輩の存在が大きくなっていった。
しかし、そのことをママに悟られないように、私は「へ~」と曖昧な返事だけを残した。

「あんた、忘年会でたっしゃんの世話したりぃ。こないだ約束破った罰やで!」

ママは唇の端を片方だけ吊り上げて、意地悪そうに私に言った。私は「えー!」と反論したが、ママの言うことは絶対だった。
もしかすると、私以上に色んな経験をしてきたママには、私の葛藤は見抜かれていたのかも知れない。愛情深いママのことだ。ママは私にきっかけを与えてくれようとしているのかも知れないとそんなことを思った。
私が快く了解するとママはいつもの笑顔に戻り、「ほな、頼むで」と私の肩をポンと一つ叩いたのだった。


そして、忘年会当日…
毎年のことながら、ママを慕ってやって来る常連客の多さに圧倒されながらも、私はマイクロバスを待つ集合場所で先輩の姿を探していた。
たくさんの人ごみの中で先輩の姿を見つけたが、他の常連客の手前もあり会釈程度…
マイクロバスに乗り込む時に、私は人ごみに紛れながら先輩の後ろにつくことが出来た。
息を整えようとしているところで、いきなり先輩が振り返る。私は息を整えるのも忘れて「田村さん、ご無沙汰です」と声を掛けた。

「おおぉ 元気か?」

先輩の明るい声に何だかホッと安心する自分がいる。「元気ですよ」と私も笑顔で言葉を返した。一瞬、時が止まったような空間に、常連客が私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「また、後で」

そう言ってその場を離れ、呼ばれる方へと向いながら、一ヶ月振りの再会に少しだけ緊張している自分を発見していた。


会場に着くとママが率先して先輩と先輩の友達を引き連れ、空いている席へと誘導する。私はママとの約束を守る為、先輩を見失わないように人ごみを掻き分け、後から付いていくのに必死だった。ママの心遣いで私は先輩の目の前に座ることが出来た。しかし、カウンター越しとは違った景色に私は真っ直ぐに先輩を見ることが出来ずにいた。


忘年会がスタートして、先輩とその友達が周りの常連さん達に自己紹介を始めたが、私は何だか上の空で聞き流してしまっていた。小料理屋で会う先輩とは、何だか雰囲気が違っているのか、妙に落ち着かない。
しかし、その落ち着かない気持ちは、ママにお酌に来る人達のお相手で暫くの間、紛らわすことが出来た。
ようやく落ち着いた頃には宴もたけなわで、先輩達もほどよく酔いが回っているようだった。


「なぁ、美恵ちゃん。こいつも小・中学校の同級生なんやけど、知ってるか?」


先輩の隣でニコニコ笑う男性の顔をまじまじと見つめるものの、私の記憶には残っておらず、首を捻る。「酷いな~」そう言って大袈裟に泣いて見せる男性を見ながら、先輩と私は大声で笑った。


程なくして一次会も終わり、二次会のカラオケスナックへと場所を移す。集合場所だった場所へと戻るマイクロバスに乗り込み、途中、カラオケスナックの前でバスが停った。二次会に参加する人だけがバスから下り、店に入っていく。
私は先輩を見つけ手招きした。ママとの約束を一次会で果たせなかったことと、私自身が先輩ともう少し話がしたいという想いが、私を行動に走らせていた。


ボックス席に座る先輩の隣を陣取って腰を掛ける。
私の顔を見て先輩は開口一番に「なんでやねん?」と私にツッコミを入れた。

「ええねん、ここで」

先輩は他の常連客のことを気にしているのだろう。私の立場を気遣ってツッコミをいれたことは分かっていたから、私はそう答えた。
でも、この時間はどうしても先輩の側にいたかった。側にいれば、私の葛藤に決着が着くと思ったからだった。


少しの沈黙があって、先輩は意を決した顔で「なぁ 土曜日なんでけーへんかった?」と詰め寄ってきた。きっとそのことに触れられるだろうと覚悟はしていたが、先輩は続けざまに渡したメールアドレスの所在まで聞いてきたのだった。
まだ、私の心の葛藤は続いていた。
本当の自分の答えが見つかっていないのに、先輩の言葉に答えることが出来なかった私は、ただただ俯くしかなかった。


私の様子に気付いて、先輩はもう一度メールアドレスを紙に書いて私にそっと手渡す。「気が向いたら音信してきてええでぇ」と優しい言葉を残して…


私の心の中で、あの日の忘年会での先輩の言葉が繰り返されている。
甘えることを知っている筈なのに、甘え方を忘れてしまった私には、先輩の優しい言葉にも、もう一度くれたメールアドレスにも、どう答えていいのか分からなかった。
先輩の気遣いをどう受け止めていいのか…戸惑う私がいた。


「ミエちゃん、あの人…ほんま律儀な人やなぁ。今日、電話があってん。あんたにお世話になりましたって。ちゃんと返事せな、あかんで」


次の日、店に出た私の顔を見るなり、嬉しそうな顔でそう告げた。
ママのその言葉で、私は自分の殻を思いっきり叩いてみた。
硬くてびくともしなかった殻が、いとも簡単に崩れ去っていく…
私は嬉しそうなママを横目にしながら、逸る気持ちを抑えられずバッグから携帯電話を取り出した。



私は始めて教えてくれたメモを片手に

『先輩、また会いにきてくださいね』と呟きながら

指は

『先輩、またお店に呑みにきてくださいね』

メッセージを初めて送った。






作/諒 No Produce


第七話