彼岸の墓参りの帰りに
小学五年の娘がなにやら話しかけてきた
「ねぇ パパ!」
「...ン? どうした?」
「パパもあそこに入るの!」
「パパも 死ぬの?」
「ヤダヤダ…」
「うーん!…」
しばらく自問自答してみた。
確かに
死は避けては通ることはできない。
誰でも、
余命を感じるともいう、
死と向き合うときがやってくる。
人も生き物、
間違いなく死がゴール。
そこにゴールインしなくてはいけない。
死はこの世の最終到達点。
確かに
ランナーはゴールしたいから走る。
人生は
死にたいから生きる?
死ぬために生きる?
そうだろうか?
確かに、
死という想像のつかない代物は、
怖気づく。
初恋の彼女が不治の病におかされたとき
死が覆いかぶさって
治療の効果にも疑心暗鬼になり
なにもかも死に関連つけて
やけになったときもあった。
でも
ゴールを少しでも先に延ばすために
先に死のゴールがあるにしたって
まだ生きていると言い聞かせた。
ゴールはやってくる、
ゴールを考えるよりも
今やれること
今やるべきことを
真摯に考えて
積み重ねて
周りの愛と
僕の愛の
キャッチボールしながら
今を精一杯生きる
そのほうが
死を空想するより
現実的なような気がする…
「えり! 大丈夫だよ!」
「パパが死ぬまで」
「えりの 陰日向になり見守って」
「ちゃんと 生きるからね!」
「ほら ちゃんと生きてるでしょう!」
「おいで 抱っこしてあげよう!」
「ヤダヤダ…」
END