僕が想う

「生死」



ふと

紐解いてみたくなった


最初に

お袋の苦難の末に誕生した

「生」

物心がついても

理解どころか

独り大きくなったつもり。


「死」

最初の体験は、

おやじのお袋の死。

高校一年のときだったかな?

おばあちゃんなのに

従兄弟と

ワイワイ

周りの悲しみなど

露とも知らず。


そして

真摯に

感じることになった。

高校二年の秋

十六歳のときの

初恋の彼女の

「死」

まさに

天上から

落ちるかのごとく

心は

ズタズタ。


その後

いろんな

「死」

に直面して

悲しみ

慈しみ

そして

拘ることなく

冥福を念じた。


それも

「生」



立ち会う経験を

できたおかげかな?


君との愛で誕生したあらたな命。

「ねえ この医院ね旦那が分娩立ち会う規則みたいよ」

「大丈夫?」

「えー 」

嫌々ながら ここは日本男児 妻への強がりで

「わかった」

やせ我慢した。

まあ いざとなったら、

「ゴメン」

って

勘弁してもらおうと

その場はとりつくろった。


いざ 分娩日になって

妻の辛そうな顔をみてると

なかなか言いそびれて

そのままの勢いで

立ち会うことに・・・

おそらく

血圧は上昇

手足はブルブル

助手から白衣を手渡され紐を前で結んでると

「ご主人 前後ろ逆ですよ」

って

指摘されるほどあたふたしていた。


分娩室では

妻の耳元で

ただただ

ラマーズ法の呼吸

「ヒッ、ヒッ、フー」

助手は平気な顔して

「ご主人 ほら 頭が見えてきましたよ」

手招き

目をしろくろしながら

「は・は・はい」

って

こっちが

ラマーズ法で呼吸してほしいほどだった。


そして、無事分娩が終わって

助手から

「ご主人、お疲れ様です」

「でも 勇気ありますね」

「みなさん ほとんど嫌がるのに」

ん? 規則ちゃうの!?

まんまと 妻の策略にひっかかたけど

でも

おかげで

神秘の世界を垣間見れて

人生観が変わったことは確か。


絶壁のような

「死」

神秘の

「生」



体験したおかげで


どこか

生死の真髄を垣間見れたような気がする。