先般

日常で兼務している

会社のご老人会長から

「なになに君!」

「はい」

「この間、書棚整理していたら、これが出てきて」

手書きで書いている、紙を手渡された

「何ですか!?」

「君に役立つと思い 書き写したんだよ」

「肝に銘じて、君の本業に役立てなさい」

って

手書きのレポートをいただきました。


会長さんは昭和10年生まれだけど

本がすきなかたで

いつぞや

整理処分した本のページの一部を

簡略して書き写したそうです。

そのレポートより

その本を読書したいと思い聞いてみると

「会長! その本買って読みますから、教えてください!」

「うーん 覚えてない」

「・・・」

ヽ(-0-ヽ)Ξ(/-0-)/ えー

覚えてない!

ご老体だから

ショウガナイケド

(キ▼д▼;)トホホ・・



って言うわけで

どなたかご存知でしたら

お教えください。


ただ

ところどころ

簡略しているみたいで

繫がりにくいところもあります。

とにかく

内容を書き写してみます。


・・・・・・・

【「正しいこと」だけにこだわらない生き方】

苦の定義は

「ご都合どおりにならないこと」


正しいことを、誰かに言う場合に、気をつけたいと思うことを紹介します。


(相手の気持ちを察する余裕)

こうすれば、ああなることが、わかっている場合があります。

親は子供を育てるとときに、自分の経験から、

今こうしていると、結果としてどうなるか、おおよその察しがつくので、

よかれと思って子供に注意します。

「夜更かしすれば、朝起きるのがつらくなるぞ」

「勉強しないと、いい学校に入れないからな」

「あまりに自由奔放な生き方していれば、いつか不自由な生活をしいられるぞ」

これらはすべて、百パーセント正しいことです。

しかし、これらのアドバイスは、ほとんど役にたちません。

人は、こうすれば、ああなるという、百パーセント正しいことだけを言われると、

「現在の自分のことを、分かろうとしていない」

という拒否反応がでるものです。

夜更かししたい理由があったり、

勉強は好きでないし、

今自由な生活をしたいのです。

こうすれば、ああなることは分かっていますが、今こうしたいという、気持ちが優先されるのです。

まず、こうしたい理由を受け入れないと、ああなるという結果だけから、

今の気持ちを、変えることはかなり難問でしょう。

「夜更かし、しなくてはならない用事があるのなら、それをやればいい」
「その代わり朝は、どんなにつらくても、しっかり起きなさい」

「勉強が嫌いなら、いい学校へ入るという目標は捨てること」

「自由な生き方をするのはいいけど、それが原因で不自由な生活を」
「しなければならなくなっても、愚痴を言わないこと」

こんな言い方ができれば

相手の気持ちに、少しだけ余裕ができそうな気がするのですが、

いかがでしょうか。


ある意味で百パーセント正しくても、役にたたないことは存外多いもの。

正しいという理由だけで、何が何でも、自分の意見を押し通そうとするのも考えものです。

それは、まるで自分の心のそうじをほったらかして、

他人に心のそうじを、強制しているようなものかもしれません。

解明されたことであっても、

かつ

正しいことであっても、

それにこだわり続けると、

「苦(悩)からの脱却」

という

大切なものを

見捨ててしまうかもしれません。




追伸

有名な図書とお見受けしますが
転用お許しください
もし問題があるようでしたら
削除いたします。