先日こう書きました。。。。
Bの問題行動(暴力、暴言、自傷)は、周りに対するイライラよりも、
自分の状態に対するイライラからくるもの。
自分が情けない。生きている意味が分からない。
もちろん、その気持ちを周りが理解してくれないというイライラもあります。
Bの問題行動がないからといって、そのイライラがないとは、言えないと思うんです。
昨日、それを目の前で目撃することになりました。
私の学生でとても頑張っている女子がいます。
しっかりしていて、週に30時間も働いています。
しかし、発達障害だそうです。どんな障害なのかは大学は教えてくれません。
彼女が言うには、講義中は全部分かっていても、
1時間立つと何も覚えていない。
皆が、どんどんとプログラムを書き始めているから、
自分も書かないといけないと思うけど
何をしたらいいのかわからない。
どこに、何のファイルがあるのかもわからなくなる。
涙ぐんで話してくれました。
私が、一生懸命にもう一回説明しようとしても、
「もういい。自分でなんとかするしかない。」
と言い出すし。。
そこで、私は
「他の人が何をしてようと関係ない。
クラスが終わってすぐに、プログラムを書くのは間違っている。
もう一度読み直して、消化してから、書くべき。
それより、今一緒に、読み直して、消化してみよう。
あなたは、正しい事をしてみよう。図にしてみよう。」となだめて、
一緒に図を書きました。そしたら、落ち着きました。
「これからも、自分で、図にしてみる。」と言ってくれました。
これは、応急処置です。
これからも、彼女は、自分が情けないと思う日がいっぱいあるでしょう。
周りについて行けないというイライラが募るでしょう。
聞くところによると、他の先生方は、この応急処置ができず、
「なんでできない?!」とイライラして叱るそうです。
大学だからそういうもんなのかもしれないけど。。
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何が言いたいかというと、
障害のある人達は、日々「自分が情けない」と思うんです。
泣きたくなるんです。叫びたくなるんです
そして、障害のない人達は、その気持ちに共感できないのです。
これは、協調や恥の文化がないカリフォルニアでも起こることなのです
そういう文化の日本なら、起ってあたりまえなんです
私は、おとなしくひきこもっているから、安定していると思えないんです。
性格のせいもあるでしょうが、ある程度「情けない」が続くと、
人は無気力になります。
諦めます。
そして、世間と距離を置きます。
うまく行った日(何も情けないと思わずに済んだ日)は
とてもうれしいでしょう。
でも、そんな日が毎日続くわけがないとも、思っているでしょう。
だから。。
「自分が情けない」と思わせちゃーだめなんですよ~~~。
絶対に
日本文化は、協調(COMFORMITY)と恥の文化です。
障害のある人に、皆と同じにしろと言っても無理です。
障害にある人に、同じことができない自分を恥じろと言うのは、悪です。
だからこそ、とてもよい環境が必要なのではないでしょうか
のびのびと、自分のいい所を見つけられる場所。
それをほめて伸ばしてくれる大人たち。
本人が困っていることを、どう補うかやさしく教えてくれる人達。
協調と恥を忘れられる環境。
それが、1-3と4-6
の違いなのではないでしょうか
出来るだけ、早い時点でそういう環境に行けた人達が1-3でしょう。。。
あなたの不登校・ひきこもりのお子さんは、今そういう環境にいますか