(昨日の記事の最初に足したものも、ぜひぜひ、読んでくださいね)

 

おじいちゃんと言えば、若いころは弁士、

その後、映画の配給会社を作って、

その後、建築会社を作った人です。

バイタリティーのかたまりですね。ニコニコ

小学校しかでていません。

 

おじいちゃんはおしゃれでした。

60代の時、私の父があげた、

アメリカ製のトレンチコートをきて、

内の柄を見せたいから、わざとボタンをはずして、

首には、なぜか、真っ白の絹のスカーフ、

顔には、レーサーがするようなサングラスをかけて、

鼻歌歌いながら、歩くひとでした。口笛

 

でも、おじいちゃんと義母(ひいおばあちゃん)は

あまりなかがよくなったようです

(おばあちゃんは若くしてなくなってました)。

 

おじいちゃんのキッチンにある冷蔵庫から、

いつも、夜の間にものがなくなるという事件があったそうです。びっくり

 

おじいちゃんは、赤い紙テープを冷蔵庫のドアにはって、

開けたらわかるようにしました。

(簡単に外せるテープだから意味がなかったんですけど)。

 

それで、夜、見張っていたようです。暇やなー。

 

そしたら、ひいおばあちゃんが犯人でした。

「見たぞー見たぞー!」と怒鳴るおじいちゃん。

「アレー!」と驚いて、

  ひっくり返りそうになるひいおばあちゃんでした。爆  笑

 

そんなおじいちゃんは、仲間思いの人でした。

古い大阪の下町だから、小学校からの友達もずっと同じ所で暮らしていました。

大阪は親の店を継ぐことが、多かったのです。

 

(私の小学校の同級生たちも、今でも、同じ所にいるようです。

 多くの大阪市民は、他の県に引っ越すのが、

 遠い外国に行くように感じられるそう。

 そりゃそうや。アンタラは、宇宙人やでびっくりマークびっくりマーク

 

でね。。

家電も幼馴染の小さい店で買うんです。

買ったテレビはなぜかどうしても、まっ黄色の映像。

「おじいちゃん、これ、黄色いよ」と言っても

「ええねん。完璧や!」と言ってました。

 

娘たちに、幼馴染の服やで「なんでも選べ。こうたる」と言うんですが、

娘たちにしたら、迷惑でね~。

だって、カーデガン。。

上にのせてあるのの、ガラが下のに、うつっている~。えーん

靴下は、一回はいたら、指先が溶けてなくなっている~。えーん

おじいちゃんの「なんでもこうたる」は恐怖の一言。

 

で、アメリカに来るちょっと前のことです。

幼馴染の息子が近所にレストランを開いたというので、

みんなで食べに行くことになったんです。

 

私は、カニコロッケを注文。

おばさんが「そんな難しいもんやめとき」と言うのを無視して。。

 

そしたら、真っ黒のでっかいソフトボールみたいなカニコロッケが一個でてきました!

一生忘れられません。ガーン

 

「ええ店やなー」とおじいちゃんは感動してましたけど。。

 

一回、父と「飯屋」に初めて入ったんです。

おじいちゃんの家から歩いて1分くらいの所。

そしたら、大阪のおばちゃんが犬を連れて入ってきて、座って、

「いつもの、おねがい」と言うと、

お店の人が、犬にゆで卵をもってでてきました。

犬が食べたら、出て行きました。

 

進んでいますね~。ヨーロッパ並みですね~。

 

アメリカに来るよりカルチャーショックな町でした。

 

これほんと、全部実話です。

もっと、すごいのがありますが、

  個人のプライバシーを守るために、やめておきますね。

 

(次回はお好み焼きの巻)