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(長勝房) 借米少し返弁

永禄十三年(1570年)二月

 

 晦日

 今度借米ノ内少〃返弁了、上ニ注之、

 

 🧑‍🦲現代語訳

 今回、借りていた米のうち、少しばかり返した。前に書いた借米一覧に注意書きしたよ。

 

 これのことやね、「(長勝房) 米借用一覧」。

 

長勝房 母寺郷細川の下女下る

永禄十三年(1570年)二月

      ※長勝房 17歳

 晦日

 長勝房母寺鄕細川ト云所ニ在之、見廻ニ下女上了、可下之通申遣之、

 

 🌾 細川・・・明日香村の多武峰に行く道中に「細川」がある。そこのことかなあ。

 

 🧑‍🦲久々に長勝ちゃん登場?だよ

  現代語訳

  長勝房の母寺の郷が細川というところにあり、そこの下女が見舞いにやってきた。細川へ帰るように言い渡した。

 

 

(長勝房) 竹内下総守へ御礼

永禄十三年(1570年)二月

      ※長勝ちゃん 17歳

 廿八日

 竹下へ礼米於釜口五石借用之間、新二郎祢宜ニ升下可渡通申談、新織ヘ書狀遣之并備前ヘモ切帋遣之、以次堯實房ヘユヱン二丁、衞門太郎ヘ二丁遣之、

 

 🧑‍🦲現代語訳

 竹内下総守へ御礼のお米を、釜口の堯實房から5石借りることになっているので、禰宜の新二郎に行き来して竹内下総守へお米を渡してくるよう話した。新織部へ書状を送り、備前にもメモを送った。また、堯實房へ油煙2丁を、備前衛門太郎へ油煙2丁を送った。

 

(長勝房) 常如院に無心の礼

永禄十三年二月

 

 廿四日

 常如院へ今度種〃無心礼ニ鈴一對・兩(種脱)クス十丁、山芋一ワ持了、

 

 卍 常如院・・・興福寺の塔頭。多聞院の隣に位置する。

 

 👀 無心・・・心のないこと。思慮のないこと。考えのないこと。人の迷惑も考えず、ものを頼むこと。ねだること。心中に何もないこと。自然のままの心。鎌倉時代、機知・滑稽を主とする狂歌・連歌の称。

 

 👀 クス・・・葛だと思う。10丁という単位になっているが、どんな形なのだろうか。葛粉、葛餅などなど。

 

 🧑‍🦲現代語訳

 常如院へ、今回の件でいろいろとお願いをしたので、御礼にお酒と葛10丁、山芋1把を持っていった。

 

 今回の一件は、いろんな人にお世話になったんやね🧑‍🦲よっぽどやん。

(長勝房) 借米の質物入れた

永禄十三年(1570年)二月

 

 廿二日

 同方今度ノ礼ニ十石遣之通申了、

 五石二月廿八日、釜口堯實所ニテ借渡之、質物ニ地藏院屋敷并に田一町入了、借書遣之、ユヱン二丁遣之、ヒセン衞門太郎ヘ二丁遣之、五斗ヒセンヨリ渡之、四石五斗坊ニテ渡之、

 

 👤 同方・・・竹内下総守のことか。同じ日に竹下の話しが出ている。また、後の日記に竹下へ20石御礼している。

         「竹下江州へ信長迎ニ廿四日越之由間、大ユヱン三丁遣之、(同日)」

 

 🧑‍🦲現代語訳

 竹内下総守へ、今回の件の御礼に米20石を送る旨を伝えた。

 2月28日に米5石を、釜口の堯實房のところで借りた上で竹内下総守へ渡す予定で、借米の質物として地藏院の屋敷と田んぼ1町を入れた。借用書を送り、油煙2丁も送った。備前衛門太郎へ油煙2丁を送り、米5斗を備前から竹内下総守へ渡した。米4石5斗を坊において竹内下総守へ渡した。

(長勝房) 米借用一覧

永禄十三年(1570年)二月

 

 廿二日

 赤塚ヘ半分取間可渡之由渡采申間、則廿石渡了、先以四十石分濟了、

   米借用ノ方

  八石 般妙方   五石 龍雲院

   内佛具ニテ一石五斗返了、

  三石 明禪房   二石 中藏院

               于今略返了、    

  一石 友次    一石 甚三郎

                返了、

  八石談義田方   五石 春嚴房

                不借之、

  五石 釜口    一石 長賢房

            三石八斗同上、

  三石 マコ四郎  合四十六石ト

   此内麥ニテ一石遣之、

  二石五斗六方   一石二斗又五郎

 

 🧑‍🦲現代語訳

 渡部采女へ渡す約束の40石のうち半分は赤塚備前守の取り分なので、赤塚備前守へ20石渡すよう渡部采女が言ってきたので、20石を赤塚備前守へ渡した。まんずこれで渡部采女への40石は全て渡し終わった。

 

(長勝房) 渡部采女へ20石

永禄十三年(1570年)二月

      ※長勝房 17歳

 廿一日

 渡采ヘ廿石渡了、

 

 🧑‍🦲現代語訳

 渡部采女へ米20石を渡した。

 

 約束の40石のうち、半分やね!

(長勝房) 法貴寺枡で量れ!

永禄十三年(1570年)二月

 

 廿日

 渡采方種〃存分申セトモ、各〃被申噯、四十石ニテ調了、升ノ口三合口之通可取由申、終雖無合點竹下又城州ヘ被申、法貴寺升ニテ可取之由被申付、升口モ不入、則方〃米ノ借用調儀了、夕部符ヲ切使立了、

 

 👀 存分・・・物事を思いどおりにすること。満足のゆくまですること。また、そのさま。考え。思い。恨み。意趣。(デジタル大辞泉より)

 

 👀 噯・・・あつかい。中世・近世の紛争解決のための仲裁・調停。(歴史民俗用語辞典より)

 

 🧑‍🦲現代語訳

 渡部采女方がいろいろと言い分を言ってきても、仲裁が入られて、40石の補償で折り合いが付いた。枡の口は三合口を使って量るよう言ってきたが、ついには合致点を見出せず、竹内下総守が再度松永山城守へ相談したところ、法貴寺枡を使って量るように仰られたので枡口も必要なかった。その後、方々に米を借りる手はずを調えた。夕方に借米の使いを出した。

(長勝房) 松永山城守へ御礼

永禄十三年二月

 

 十九日

 城州礼ニ可出之由被申由、百疋樽代持、竹下同道礼申、竹下同名伊与馳走之間、樽代廿疋遣之、則歸坊了、

 

 👤 竹下同名伊与・・・竹内下総守と同名だから、竹内かな。伊与は伊予守かな。というこで、竹内伊予守なんかな、と。ここしか出てきません。

 

 🧑‍🦲現代語訳

 松永山城守へ御礼に行かなければいけないと言われているとのことなので、酒樽代として100疋を持参して、竹内下総守と一緒に松永山城守へ御礼に行った。竹内伊予守がこの件に関して奔走してくれたので、酒樽代として20疋を持っていかせた。その後、坊へ帰った。

 

(長勝房) 竹内下総守に免じ

永禄十三年二月

 

 十八日

 遠田庄屋可召寄之間、早旦ヨリ召ニ遣之、先以可及算用之由被申間少甘了、

 後夜ノ過ヨリ神人新二郎、ヨヒニ少太郎上了、庄屋源三郎子源十郎來、在様多重雖及問答、少もクモリ無之、サマ〃〃渡采ヘ竹下ヘ雖有直問答不究、及晩城州ヘ秀勝被出種〃被申分處、久秀手前ハ百貫ツモルトモ懇望ノ間、竹下ヘ免テ不可取之通、後夜之時分ニ新織被申聞了、先以安堵了、采方ハ相合トモ不申由、明日可有一途之通也、則早旦ヨリ坊へ少太郎上了、

 

 👀 甘・・・あまし。(味が)甘い。おいしい。うまい。(性格・態度ややり方などが)しっかりしていない。なまぬるい。甘い。(学研全訳古語辞典より)

 

 👀 後夜・・・ごや。「六時(ろくじ)」の一つ。一夜を初夜・中夜・後夜に区分した最後のもの。夜半から早朝までをいい、およそ午前三時から五時までに当たる。「後夜」の時間に行う勤行(ごんぎょう)。(学研全訳古語辞典より)

 

 👀 ヨヒ・・・宵。晩。また、夜に入って間もないころ。▽夜の時間区分で、「ゆふべ」の次の段階。日没から夜半ごろまでをさす。(学研全訳古語辞典より)

 

 👀 神人・・・じんにん。神職。神主。神社に仕える下級神職。

 

 👀 相合・・・あひあひ。一つのものごとを、共有または共用すること。(学研全訳古語辞典より)

 

 🧑‍🦲現代語訳

 遠田庄の庄屋を召し寄せろ、ということになったので、早朝から庄屋を呼ばせるべく使いを出した。まずは勘定をしろ、と言われたので少しなまぬるい感じだった。

 午前五時過ぎごろに神職の新二郎が、晩になって少太郎が帰った。庄屋の源三郎の息子の源十郎が来た。それぞれの事情が幾重にも重なっていて、押し問答に及んでしまうとはいえ、こっちの言うことには少しの曇りも無く、様々なことについて渡部采女へも竹内下総守へも直接に問答したとはいえ、真相を明らかにすることはできなかった。晩におよんで松永山城守へ竹内下総守秀勝がお会いになり、いろいろと申し立てされたところ、松永山城守久秀自身は100貫積んでも欲しいのだが、竹内下総守に免じて接収しないことしたと、午前三時から五時ごろに新織部が仰った。とりあえず安心した。渡部采女方は共有の主張もしないことも含め、明日処分の決定があるということだった。早朝、少太郎が坊へ上がった。

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