昔、「あるはずのない海」の献辞でも書いたが、この世のすべては奇跡でできている。
それもただの奇跡ではなくて、長い長い奇跡連鎖の末に生まれた奇跡である。
世界や生き物や人の人生だけでなく、漫画や映画もそういった奇跡の産物だ。
AppleEyeは始め、ある人に恩を感じることがあって、その人と彼の友人のために書いたシナリオだった。
だが参加者がある程度集まってプロジェクトが軌道に乗った頃、重大なコンプライアンス違反によって、そのある人を追放しなければならないことになり、その人が監督兼修学兼カメラマンだったことから、プロジェクトは白紙に。
ふてくされる参加者も現れる中、わたし自身も元々人のために始めたことだし、もう誰もやる気がなければ特に続ける意味はないと考えていた。
その時、「わたしはいろんな企画に携わってきたけれども、この企画は本当にいいから、やめないで続けましょう」と言って皆を止めたのが、オリジナルのヒロイン役をやるはずだった人が家族の都合で降板したあとヒロインに決まっていた渡辺綾乃である。
彼女がキャスティングを請け負って、空席となった主人公富士山ジュリアン役に吉岡広海を抜擢し、キーキャストが揃ったプロジェクトは続行となった 。
ただこの時点でかなり時間と予算を無駄にしていたのと、カメラマンによるトラブルがトラウマになっていたことから、カメラマンや編集者を雇うことはもう到底できない状態で、その役は本業漫画家で動画撮影や編集未経験のわたし獸木が担うのが唯一の選択肢だった。
素人が撮影・編集を行うことから、当然参加者や周囲の期待値は当初とても低く、皆やる気イマイチだったが、撮影するごとに編集して出来を見てもらい、撮影6、7回を過ぎたあたりで企画の全体像が見えてきた面々が本気を出し始め、完成に至る。
最終的にたくさんの人が出演してくれたが、なんと一人を除いてオリジナルのキャストは全員初動段階で去り、中にはキャストが2回変わったキャラクターもある。
自主映画で全員タダ働きなので、キャストが途中で気を変えて去っても止める権限はなく、進行中も何度も人が来なかったり去ったりしては、その穴を埋める人たちが現れ、そのたびに作品はシーンも追加され、少しずつ大きく本格的なものになって行った。
完成したものを観ると、主役の吉岡広海、渡辺綾乃、ジェレミー・イートンらがその役をやるために生まれて来たのじゃないかと思うほどハマり役なのはもちろん、カメオ、素人の人も含めて他の全キャストが本当にぴったりの役を演じていて、ほぼ全てがカオスの中の偶然のキャスティングや構成だったとは到底思えない。
作品は不思議な生き物。自分で勝手に始動し、作る者や役者を選び、キャラクターを動かして成長していく。
最後の一瞬まで、完成するかどうかわからなかったAppleEye。
今は第二作が勝手に起動しているが、それだって実際にプロジェクトが始まるのかさえ不明だ。
そしてプロジェクトが始まったとしても、第一作に登場した多くのキャストは、そこにはもういないだろう。
自分を含めて誰も映画だけで生活している人たちではないから、みんな自分の仕事があり、生活がある。
果てしない奇跡の末に生まれた小さな物語と、そこに登場する人々の一瞬の輝き。
彼らが情熱と努力と愛情を注いだ、儚い煌めき。
どこにも存在しないキャラクターたちの、生き生きとした笑顔と涙。
わたし自身も、この映画に参加してくれた全てのメンバーも、やがてこの世から永遠に去り、この世自体も消えてなくなるだろう。
その悲しみと切なさは、深い愛と幸せの証。
車窓の風景のように
過ぎ去ってゆく人生
過ぎ去る時を捕まえて
愛してると伝えて
手遅れになるその前に
ラストシーンのBeatjackersの挿入歌と共に、ほんの一瞬存在した、色鮮やかな奇跡の瞬間とその感動を皆さんと共有できること、
そしてAppleEyeの物語から溢れる愛が、皆さんを暖かく包み、幸せで満たすことを、心から祈っている。
獸木野生
AppleEye 日本語ホームページ
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~bigcat/indexAPPLEEYE.html