少しでも自分の人生にかかわるもの減らしたいと思って実家にあった大量の写真を整理しようと考えた。

実家も母親が片付けてしまっているし、私自身も当時どんなように写真を整理したのか覚えていない。

とりあえず、見つけた分だけ自宅に持ち帰る。

 

スニーカーの空き箱に3個。大きいアルバム2冊。

これでもまだ子供時代から1993年くらいまでの写真はほとんど見つからないから、実家のどこかにまだあるはず。

 

2010年以前はフィルムに撮影して、プリントアウトした写真が主流。しかも当時から今のような撮り方をしていたから風景の写真もあったりして。

 

とりあえず1996年から2002年までは日付順に整理できる。

2002年から2010年くらいは年毎にまとめることができた。

 

初めはシュレッダーかけて少なくまとめようとおもったんだけど…

 

記憶の欠片がどんどん出てくるため、それは早々に諦めた。

 

写真には日付の入っていないものもあり、

髪型や服装、一緒にいる人からその前後の年をみて当てはめていく。

これが意外に面白い。

 

しかも今はGoogleレンズなんて便利な物があるから「これどこに行った時の写真だっけ?」って思っても特徴的な建物などが写っていたら、レンズで調べることができる。

 

1996年から2002年というと、私は20代のころ。

カメラを使っての写真だから、今みたいに気軽に日常の風景を撮るということはなく、友人たちのプライベートな旅行とか社員旅行、あとは記念日や歓送迎会みたいな食事会の写真がほとんど。

 

私にとって「特別な」日ではあるけど、

私の欠片が集まって、私の人生が俯瞰できる。

 

先月実施した20代の時に勤めていた職場の部署会。

 

整理していて初めに感じたのは、

当時一緒に旅行に行くくらい仲のよかった人とは、思ったよりも今も続いている人が多いこと。

 

女性の場合は転職や結婚とかでも環境が変わるからそれまでの関係が途切れることもある

実際30~40代のころ、特に結婚して子育てしている友達とは何年も会うことはなかった。

そのまま疎遠になってもおかしくなかったんだけど。

 

続けるために努力したとするなら年賀状を毎年出したこと。

簡単には会えない地域に住んでいても、お互い家庭環境が会えない状況でも

年1回は近況が届く。

 

コロナが開けてからは年賀状の「いつか会いましょうね」は「いつでも会えるわけじゃない」ことに気づいて

昨年ぐらいから当時の友人たちと実際に会って話す機会をつくるようになった。

また子育ても落ち着いたメンバーも会いやすくなった。

 

同世代でも年賀状仕舞いをする人が出てきて、自分も検討してはいるけど。

この結果をみてもう一度考え直そう。

 

写真を整理しているとその時の状況を感情を伴って思い出す。

それは写真を撮った自分の感情を思い出すだけではなくて

写真に写っているものから、その時は思いもしなかった感情がよみがえる。

 

「あ、この服この時も着てる。お気に入りだったんだな」

「こういうスタイル、今も好きだよね」

「友達や職場のイベント一人旅の写真がほとんどで、家族写真は少ない」など。

大量の写真を整理することで、自分の人生の傾向が見えてくる。

 

著名な作家が書いた人生指南本より、豊かに「私自身」を教えてくれる。

これは過去の私から今の私への予想もしないプレゼントだ。


スッキリした部屋で生活したくてミニマリストには憧れて写真整理したかったけど、写真で気の済むまで遊びたくなったからまだ先でいいや。