人生論 | イラストレーター村田峻治の日常

人生論

トルストイが自身の著作でこんな事を書いている。

『人間はみなひたすら自分自身のため、自分の幸福のためにのみ生きている。もし自分の幸福にたいする願望を感じないなら、生きているという感じはしないのである。人間は自分自身の幸福を願うことなしに人生を想像することはできない。生きるということは、あらゆる人間にとって、幸福をねがい、幸福を得るということとまったく同じである。また幸福をねがい、幸福を得るということは、生きるということと同一である。』


自分はたまに同業者や音楽屋さん達と話してて、『何故絵を描いたり、歌ったりするのか?』っていう話になった時にね

さきのトルストイの一文を例えにして

『皆、幸せになりたいから絵を描いたり、歌ったり、小説を書いたり、役者になるんですよ。」

と答えてます。

『人を楽しませたいから、人のために尽くしたいから。』

っていう事もね

楽しんでいる人や、尽くした対象、それを見て(聞いて)自分が幸福を感じるからするんですね。

往々にして表現者になる人は

子供頃苦労したとか、人一倍コンプレックスがあるとか

そういう人が多いですね。

自分が思うに、自己表現っていうのはね

自分はここに居ます!って世界に向けて手を挙げてアピールする存在証明

なんだと思ってます。

もし自分が今本当に幸福ならね

その幸福を感じていればいいんで、表現する必要はないんですね。

だから、結婚したり、お金持ちになったりして、幸せになった途端にダメになる表現者は結構いますよね。

そういう人は、モチベーションを維持する事が困難になっている訳で。

それでもダメにならない人は、その程度では幸福感を満足させられないようなコンプレックスを持っていたり、業の深い人なんですよね。

トルストイはこんな事も言ってますね。

『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。』

まあ不幸は人それぞれでね、だから自分に出来る表現方法を探す訳ですね。

一生かかっても見つからないかもしれませんが

それが間違った方向にいくとね

無差別殺人犯や大量殺戮するような独裁者

になったりするんですね。

たとえ今、頑張っているのに幸福感を得られなくても

トルストイが書いている

『最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よくなったと感ずることである』

この名言の様に人生の終わりまで分からないし、心の持ちようでいつでも幸せを感じる事が出来るんですよね。

だから

最後までジタバタしていくしかないんでしょうね。

端から見てたらみっともなくてもね。

自分は

ジタバタしすぎて訳分からなくなる時もありますが

それは多分


おバカさんだからですね。



ワンパターンなオチになってしまった(笑)

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