ジリリリリ…
目覚ましの音で目を覚まし、慌てて時計を止めた。時刻は7時。いつもより1時間遅めではあるものの、起床の時間である。
この日は日曜日だったが、残務整理のために会社に向かわなくてはならなかった。
ベッドの上に半身を起こし、ふぁ〜とあくびをした。隣を見ると既にジヨンはいない。代わりにリビングからベーコンと卵の焼けるいい匂いが漂ってきた。
スンリは洗面所に向かうためベッドから降りた。
「あ、起きた?」
「うん、おはよう」
「おはよう。もうすぐでご飯できるから起こそうと思ってたとこ」
「ありがとう、顔洗ってくる」
スンリは洗面所で顔を洗い、リビングに戻る前にヨンシクの寝室を覗いた。静かだが、布団の膨らみでそこに人がいるのが分かる。大体早起きのヨンシクもさすがに疲れたのだろう。まだ寝ているようだ。
ベッドルームに戻ってワイシャツとトラウザーに着替え、ネクタイを締める。一気に気持ちが引き締まる瞬間だ。カジュアルな格好でも文句を言われることはないが、スンリは休日出勤の際でも、『仕事』モードになれるこのスタイルを好んで選んでいる。
リビングに出るとちょうど朝ごはんが机の上に用意されていた。ベーコンに目玉焼き、ご飯とコーヒー、周りには複数の副菜が並ぶ。
「ヨンシクさんにはソルロンタンでも作ろうかなぁって思ってる。冷蔵庫に材料があったから」
「ありがとう。さっき寝室を覗いたけどまだ寝てるみたいだった」
スンリは新聞を机に開き、朝食に箸をつけた。いつも出勤前に経済面などをチェックする。急に客先に出向くこともあるため、最新の情報が毎日必要だし、他にも話題になりそうなものを拾っておくのだ。そのため朝食時に新聞を読むことが習慣になっていた。
ジヨンは隣の席に腰掛け、その様子を見ていた。ヨンシクが目を覚ました時に1人で朝食を摂らせるのも悪いかと思い、待つことにしたのである。
スンリは一旦箸を置き、ジヨンの方を向いた。
「今日は一旦会社に顔出して事情を説明したらすぐ戻るよ」
大邱へのバスの発車時刻は夕方である。いくらなんでもそれまで祖父とジヨンを2人きりにするのは忍びがなかった。社員も家族を大切にする人が多いので分かってくれるだろう。
「うん、分かった。きっとヨンシクさんもスンリと少しでも長く居たいと思うし」
「それはどうかなぁ…(笑)でも、顔を合わせて話ができて本当によかったよ」
最初から、全ての人に許してもらおう、許してもらいたいというような傲慢な考えはスンリにはなかった。ただ、するべき謝罪を、するべき自分がする。受けるべき叱責を、受けるべき自分が受ける。それだけが親戚に頭を下げて回った理由だった。特に近しい存在であり、高齢のヨンシクには顔も合わせられていないのが常に気がかりだった。
彼の気が済んだかどうかは分からないが、随分と態度が和らいだのは事実である。
「ちょっとじいちゃんにそのこと説明してから家出るね」
食事を終えたスンリはシンクに皿を下げながら言った。起こすのも申し訳ないが、何も言わずに家を出るのも悪い。
ところがジヨンが皿を洗っていると、スンリが血相を変えて戻って行った。
「どうしたの?」
「じいちゃんがいない…」
「えぇ?」
様子が分からず、とりあえずジヨンはスンリとともにヨンシクの寝室に向かった。するといつの間にか布団は綺麗に畳まれていて、ヨンシクの姿はなかった。トイレにも洗面所にもいない。狭い家なので、他に探す場所もなかった。
「荷物も携帯も置いてあるから大邱に帰ったんじゃないとは思うけど」
ここ数年会わないうちに年老いて痩せて見えた姿や、急に大人しくなってしまった昨日の様子が気になって、スンリの中で不安が募った。
「散歩に出かけられたのかもよ?今日休みだし、この近くにいらっしゃるかもしれないから探してみるよ」
「ヒョン…」
考え込んでしまったスンリの肩に手を置き、ジヨンは声をかけた。無意味な楽観主義ではなく、スンリを安心させたかったのだ。それに、たくさんの人たちと接してきたジヨンには人を見る目がある。周囲の人を困らせている様子のヨンシクではあるが、極端な迷惑をかけるような人ではないと感じていたのだ。
「とりあえず、職場に顔出してすぐ戻ってくる」
「うん。小さなことでも、何か分かったら連絡するね」
スンリは心残りではあったが職場まで往復しても1時間強程度である。持参しなくてはならない書類があるため電話で済ますことができず、一旦職場に向かうことに決めた。すぐその判断ができたのもジヨンが背中を押してくれたおかげである。
ジヨンはスンリを見送った後、これからどうするかを考えた。バスが通るメインの道路は坂道が多いので、通らないかもしれない。逆にこの辺りは車通りもあまりないし、少し歩けば公園もある。ちょっと先まで行くと街を見下ろせる高台もあるものの、長く家を開けると入れ違いで帰って来た時に困るかもしれない。
ーもし『étoile』にウビンさんかヒョジュさんが来ていたら、ヨンシクさんを見かけたら渡してもらえるように鍵を預けていいか聞いてみようかな…
ジヨンはキッチンに戻り、ラップのかかったキンパを保冷バッグに詰めた。スンリが仕事中、お腹が空いたら食べられるように作ってあったものだ。お昼に帰ってくると言っていたので持たせなかったのである。それをペットボトルのお茶と一緒にリュックに入れ、足早に家を出た。