これまで伏せられていた〔ミギーの声〕の配役が、昨日公表された。本職の声優ではなくて、阿部サダヲがミギーを演じるらしい。なうにも書いたが、まあ、無難な人選ではあるまいか。ミギーは『寄生獣』のもう一人の主役とさえ言えるキーキャラクターであり、演技経験ゼロの素人には演じこなせない大役である。人選を誤れば、映画全体が崩壊する恐れがある。話題優先の配役を避けたことに関しては、賢明な判断だったと評価したい。当面の危機は回避されたと信じたい。

個人的には、物語序盤の凶暴ミギーが好きである。ゾッとするような冷酷さと、奇妙なユーモアが融合した不思議なキャラクターであった。戦いに際しては、奇策を弄してでも勝利を得ようとする。そのしたたかさが魅力的であった。面白いだけではなくて、優秀な戦士でもあるのだ。

中盤以降は学者的性格が強調され、哲人めいたキャラクターへと変化していった。それが悪いと言うわけではないが、毒気の抜けた達観ミギーにいささかの失望を覚えたのも確かであった。


阿部ミギーには初期のアクの強さを期待したいところだが、俺の期待は大抵裏切られるので、なるべくしないようにしておく。気になるのは、今回の実写版が〔テレビ放映を前提にしたもの〕なのかどうかである。もし〔前提にしたもの〕ならば、いよいよ不安が募ってくる。バイオレンス濃度が薄められた『寄生獣』なんて、興味も湧かないし、食指も動かない。人食いの怪物が、平然とそこらを歩き回っている世界である。いつどこで、怪物に食われるかわからない悪夢めいた世界である。もともとテレビ向きの題材ではないのだ。作り手には、映画だけで勝負するぐらいの気迫で撮影に臨んで欲しい。もっとも、撮影は既に終了しているようだが…。


背中がムズムズするような人類賛歌や環境保全(自然万歳)がらみの説教も要らない。もし撮っちゃったのなら、編集の段階で可能な限り削り落としていただきたい。観ている(聴いている)こちらが恥ずかしくなるような台詞もカット。結果、多少わかり難くなっても構わない。全てカットだ。

映画の基本は娯楽である。説教だの芸術だのが前面に押し出された映画ほどツマラナイものはない。映画的、娯楽的に優れていれば、テーマやメッセージは自然と浮かび上がってくる筈だ。アーティスト気取りは自爆を招きかねない危険(愚劣)な行為である。


人間の頭部をのっとった化物(寄生生物)は、肉体と同時に記憶も奪えるのだろうか?というのが、原作を追いかけていた頃から抱いていた俺の疑問である。おそらく奪えないのではないか。寄生生物は高度な知力を有している。もしかしたら、人類以上の知恵を持っているかも知れない。だが、どんなに賢くても、どんなに演技能力に長けていても、のっとった翌日から、のっとり先そっくりに振る舞うのは困難である。これまでの人生の記憶が欠落しているのだから、家族構成すらわからないし、知人友人の顔や名前もわからない。家庭や学校や職場で、彼らは大いに困惑することになるだろう。周囲も不審を感じるに違いない。記憶を奪えない以上、人間社会に溶け込むのは至難の業である。そのあたりを、実写版の脚本担当者が、どのように処理(修正)しているのかに注目している。