夏に食べたい物教えて ブログネタ:夏に食べたい物教えて 参加中
今でもやっているのかどうかはわからないが、俺の田舎では、盆や正月になると、親戚一同が本家に集まり、会食をするのが決まりになっていた。食べ終わると、何もすることがなく、毎回時間を持て余していたのを覚えている。従兄弟(従姉妹)も何人かいたが、末子と末子の間に生まれた俺は、彼らとは年齢が離れており、会話も関心も合わなかった。

父方はともかく、母方には意地悪な奴もいて、きわめて不快であった。大人たちの酒宴は、果てることを知らないかのように延々と続いていたが、俺にとっては、苦痛な時間でしかなかった。時折、顔を真っ赤に染めた叔父が座敷から這い出してきて、俺に向かって、何やら話しかけてきたりするのだが、こちらは当惑するばかりで、少しも面白くなかった。


現在の俺ならば、酒でも呑んで、退屈を紛らわすこともできようが、小学生には無理な話であった。持参した本を読みながら、宴が終わるのを待つ他に、身の処し方を知らなかった。我ながら、無愛想な餓鬼であった。あの頃は、時間が経つのが異様に遅くて―最近は、異様に早い―無限的な重みを帯びていた。

池波正太郎の随筆はまだ読んでいなかった。仮に読んでいたとしても〔死〕を意識することはなかっただろう。ただ、当時から「自分はまともな人生は送れないだろうな…」という予兆めいたものは感じていた。俺の周りは障害物の群れに囲まれており、連中に従うしか生きる方法はないらしいということを、漠然とではあるが、察知していたように思う。


俺の予感はぴたりと的中―こういう予感だけは当るのだ―し、不毛以外の何物でもない十代二十代を過ごした。捕食者におびえる小動物のように、息を殺して生きるしかなかった。三十を目前に控える頃には、障害物の横暴は、いよいよ致命水準に達しようとしていた。このままジッとしていたら、首を吊るか、狂い死にするかのどちらかである。

チェック・メイト―詰みに追い込まれたキングを助ける方法はひとつしかない。チェス盤をひっくり返すのだ。乱暴なやり方だが、代案も代策もなかった。盤をひっくり返してから、はや十年が経とうとしている。


会食の献立は、盆も正月もすき焼きが定番であった。田舎式のすき焼きは驚くほど不味かった。材料が悪かったとは考え難い。本家は結構裕福だったし、肉も野菜も豆腐も、相応の品々が揃えられていた筈である。作り方自体が間違っていたのだろう。誰一人、正しい作り方を知らなかったのだ。野球ボール大の砂糖の塊りが、鍋に投入されるところを見た時にはゾッとしたものだ。味つけがくどい上に生あたたかい溶き卵を絡めて食べるのだから、旨みも風味もあったものではない。

御馳走の王者たる牛肉も、あれでは実力を発揮しようがない。名優を招いても、脚本や演出がダサいと、芝居が崩壊するのと同じである。そのようなわけで、俺の持っているすき焼きの思い出は惨憺たる内容だが、近頃は肉っ気に年中飢えており、夏場でもすき焼きを求めるようになった。ただ、実行には至っていない。理由は簡単。懐が寂しいからである。食べられる時には食べないし、食べたい時には食べられない。俺の人生はチグハグの連続なのである。無駄の多い疲れる人生だ。