『男の作法』(新潮文庫)は、池波正太郎が〔男の生き方〕を大いに語ったもの。話題の幅は広く、含蓄に富んでいる。頭が軽いと言うか、極度に安っぽい自称男が跋扈し〔男っぽさ〕や〔男らしさ〕が本来の意味を失いつつある今こそ、一度は読んでおきたい指南書である。
納得できる部分もあるだろうし、納得できない部分もあるだろう。それでかまわない。無理矢理共感する必要性はないし、反発は反発として、そのまま残しておけばいい。何事も自然に任せるのが一番だし、池波先生もそう考えておられたのではあるまいか。100%の支持というのも、かえって気味が悪いものだ。池波ワールド(特に随筆)の面白さに魅せられて久しいが、俺は妄信的(狂信的?)愛好家ではないつもりである。
『男の作法』の中に〔刺身の食べ方〕が出てくる。まあ、刺身ぐらい自由に食べればいい気もするけど、同じ食べるなら、美味しく食べたい。刺身の場合、山葵と醤油が、定番の薬味、調味料になるわけだが「山葵を醤油で溶いてはツマラナイ」というのが、池波先生の指摘である。
では、どうやって食べるのか。山葵は溶かずに刺身の上に乗せ、少量の醤油をつけて食べるのが〔正解〕であるらしい。山葵の香りを殺さない工夫である。俺は刺身も好きだが、山葵も好きである。本当に美味しい山葵なら、それだけで酒肴になり得ると考えている。関東移住以降、節約に徹した生活を送っているので〔本当に美味しい山葵〕には、なかなかお目にかかれないけれど…。
鴨料理の東京支店【ル・キャナル】に喧嘩を売りにきた海原雄山(※)も、刺身の作法に従って、鴨肉を食べている。それにしても描写が細かい。余程に神経を尖らせていないと、ここまで精密には描けない。
開店を祝う宴席に山葵と醤油を持ち込むなど、この夜の雄山は、行動も言動も常軌を逸していたが、美食の定跡を忘れるほどには、狂っていなかったようである。狂っていたら大変だ。食通界の帝王ともあろう者が「刺身の食べ方も知らない…」とあっては、沽券に関わるし、世間の嘲笑は避けられない。面子も面目も丸潰れである。
実子士郎との〔食べ方勝負〕に敗れた雄山は、さすがに反省したらしく、再び【ル・キャナル】を訪れている。詳細は不明だが、おそらく、詫びを入れにおもむいたのだろう。態度や方法はさておき、彼は自分の非を認める(改める)度量を有しているということである。格と言うか、器と言うか、その辺に転がっている悪役敵役と決定的に異なる点であり、この柔軟性が芸術活動の中で様々な形で役立っていると考えられる。
武芸者同士の立ち合いを思わせる料理対決が『美味しんぼ』最大の見せ場だが、根性ではなく、論理で戦うところが斬新であった。ただ、これは劇画の世界だからこそ成立するものであり、実際の俳優が演じると、大仰な台詞が鼻につき、拭い切れぬ違和感が生じてしまうのだった。
※『料理のルール』はビッグコミックス第3巻に収録されています。