随筆集『食卓の情景』(新潮文庫)に収録されている『梅雨の湯豆腐』の中で、池波正太郎は創作活動の舞台裏を語っている。食べものからは少し離れるが、興味津々の内容に仕上がっている。テキストは同名短篇『梅雨の湯豆腐』だ。池波流、小説(短篇)の書き方というわけ。

池波先生は〔きっちり図面を引いて〕書き始めるタイプの作家ではない。人物設定を決めたら、筆のおもむくままに書き進めるタイプである。どのようなゴールに辿り着くかは、誰にもわからない。書いている本人がわからないのだから、読者にわかる筈がない。先生自身、書いている内に予想外の方向へ話が転がるのを期待しているようなところがある。

短篇の執筆には、だいたい5日ほどかかるらしい。最初の2日は何も書けない(何もできない)そうである。この48時間は〔キャラクターの熟成期間〕と考えて良いだろう。

キャラクターが〔動き出して〕くれるまで、先生はジッと待っているそうである。この時間が一番しんどい。しんどいが、これを越えないことには、世界は広がらないのである。キャラクターが動き出してくれればしめたものだ。あとは、彼(あるいは、彼女)の行動を追いかければ、自然に物語が組み立てられ、一個の短篇として完成を迎える。読んでる側は、すらすら書いている…みたいな印象を受けるが、実際はそうではないのだ。相応の負担と重圧を経て、ようやく世界は誕生に至るのである。

とは言え、なかば無意識的に布石を置いたり、伏線を張っているあたりは、やっぱり凄いと思う。脚本家としての豊富な経験、そして、膨大な映画知識の蓄積が、そのような離れ業を可能にしているのだろう。


短篇『梅雨の湯豆腐』の主人公は30代後半の殺し者―彦次郎である。彦次郎と言えば、藤枝梅安の相棒格として、数々の依頼(仕掛)をこなしているが、俺たちが知っている彦次郎(甲)と、同短篇の彦次郎(乙)は、どうやら別人らしいのである。後者は悲劇的な最期を遂げているからだ。死んでしまった男が梅安と会えるわけがないし、いっしょに仕事ができるわけがない。同短篇が〔仕掛人シリーズ〕が開始される前に発表された作品ゆえに発生する現象である。池波先生が彦次郎を〔仕掛人〕に参戦させた理由はわからない。この男に愛着を感じていたのか、単に新しいキャラクターを創造する手間を省いただけなのか…。


こういう際〔パラレルワールドの概念〕を持ち込もうとするのが、SF好きの悪い癖である。俺にかかると、なにもかもSFになってしまう。まったくの悪癖ではあるが、一応の納得を得られる点は認めていただきたい。SFは魔法の道具なのだ。大抵の矛盾は消し去ることができる。

ややこしい話だが、彦次郎(乙)は、彦次郎(甲)とは異なる運命をたどった〔もう一人の彦次郎〕なのである。運命の分岐点は無限に近く、常に正しい選択を選べるとは限らない。特に彦次郎が身を置いている世界は〔外れ籤〕を引くと、即座に〔冥土〕に繋がりかねない危うさ、激しさを帯びている。湯豆腐は彦次郎(乙)の好物である。確かに梅雨冷のもとで食べる湯豆腐の味は格別であろう。酒も進む。俺も食べたい。彼の遺体を最初に発見するのが、懇意の豆腐屋さんというは、皮肉と言えば皮肉な成り行きだが、小説的には、まことに鮮やかな帰結だと思う。流石です。