『悪い奴ほどよく眠る』(主演:三船敏郎/監督:黒澤明)を初めて観たのは学生時代だった。俺が通っていた学校の図書室はかなり立派なものであった。三階建てだったか、四階建てだったのかは忘れてしまったが〔室〕ではなく〔塔〕と呼ぶ方が正しいような規模を誇っていた。

そう言えば、食堂も三階建てだった。一階は洋食、二階は定食、三階は麺類と、献立が豊富な上に値段も安かった。労働者や地域住民も食べにきていた。職員&学生以外は利用禁止とか、そういう狭量な規則はなく、誰もが気軽に食事を楽しんでいた。どっかのお役所とは大違いである。どっかの食堂では〔部外者〕が飯を食べに行くと、いちいち署名をもとめられるらしい。その内、指紋でも取られるんじゃないか。


図書室には視聴覚設備も設けられていた。映像資料の中には映画も多数含まれていた。ビデオテープとレーザーディスクが半々の割合で棚に並べられていた。観逃していた黒澤映画のタイトルを発見した時は狂喜したものだ。レーザーディスク版である。希望者はネットカフェ風の個室で映画を楽しむことができるのだった。

最初に借りた映画が『悪い奴』であった。ドキドキしながら、でっかい円盤を再生機に滑り込ませた。夢中になって観た。A面からB面に、ディスクをひっくり返すのがもどかしいほどであった。

観賞後『悪い奴』に関する批評を読んでみたところ、意外に評価が低くて、落胆した覚えがある。おかしいなあ。こんなに面白いのに。評論界と自分との〔感覚の落差〕を意識し始めたのも多分この頃である。


『悪い奴』を観るのは、今度が二回目である。初回から二回までの間に20年近い時間が流れていることに気づいて、俺は愕然となった。この20年、俺がやっていることはほとんど変わっていないのだった。

社会人になって久しいけれど、いまだに学生気質が抜け切らないのである。成長も進化もしないままに歳月だけが過ぎ去ったのだ。あとに待っているのは破滅だけである。この現実に再度愕然となる。

20年前の自分に忠告してやりたくなるが、実際には不可能だし、仮に可能だったとしても、どうせ聞きゃしないだろう。バカだからね。


『悪い奴』の面白さにも変わりはなかった。前回よりも映画知識が増えた分、一層楽しめた。世界的監督の雷名に揺るぎはないが、黒澤明の映画は〔とんでもない内容のもの〕が少なくない。傑作の称号よりも、むしろ〔怪作〕が相応しい気がする。この映画もそうだ。時代劇の場合は〔とんでもなさ〕が比較的目立たないが、現代劇になると〔とんでもなさ〕が物凄い勢いで、外界に噴き出してくる。この〔とんでもなさ〕こそ、黒澤映画を支える柱のひとつであり、独創性の源になっている。

編集の巧さも神業の領域。省くべき場面はバッサリ省かれている。観る者に想像の余地を与えることで、映画の幅を格段に広げているのだ。