『南十字戦線』は田中光二版『七人の侍』とでも呼ぶべき作品である。第一章〔招集〕に始まり〔試験〕〔始動〕〔突破〕〔籠城〕〔戦闘〕の五章を経て、物語は終章〔脱出〕に至る。

冒険活劇の見本のような内容であり、大いに楽しませてくれる。娯楽に徹し切った内容が心地好い。

南海に浮かぶ孤島ヌクロアは、地球上に残された数少ない楽園のひとつであり、自由と芸術を愛する者が集う理想郷であった。その別天地に金持ちどもの魔手が迫る。アメリカの石油屋がヌクロアを補給基地に改造しようと言うのである。

連中は手段を選ばない。札束をばら撒き、恫喝や暴力に訴えてでも、邪魔者を排除しようとする。本拠地には大層な社屋を構えているのだろうが、やっていることはマフィア同然である。いや、企業面をしている分だけ、よりタチが悪いと言えるかも知れない。

対する島側の反応も相当物騒なものであった。石油屋の傲慢を叩き潰すべく、戦争屋の募集に着手する。危険な仕事だし、命が幾つあっても足りない気がするが〔就職〕を希望する者が結構いた。どうやら、かの業界も不景気らしい。報酬1万ドルは魅力的である。


かくして、侍ならぬ七人の傭兵が集結するのだった。冒険屋、殺し屋、刃物屋、爆弾屋など、多彩な顔触れが揃った。スコットランド、フランス、スペイン、西ドイツ…国籍も様々の混成部隊だ。ここまで多国籍だと、意思の疎通が円滑に行えるのかどうか、ちょっと心配になるが、小説の場合は何とかなってしまうのである。活字の強味だし、田中先生もそれがわかった上で物語を構築している。

我らが日本代表は、ベトナム戦争に従軍し、地獄巡りを実地に体験した猛者―辰巳勇である。辰巳は金銭に関して淡白な性格であり、闘争そのものを求めているようなところがある。闘争こそが、心の穴を埋めてくれるのだ。だが、殺人狂というわけでもない。残酷になる必要のない時は、爪や牙を内に収める術を会得している。黒澤時代劇に登場する侍たちがそうであるように。

辰巳の渾名がサム―無論〔サム〕はサムライのサムである―というのも面白い。貫禄や技量の分野では、冒険屋や殺し屋に一歩譲るものの、精神力は互角である。辰巳は容易なことでは諦めない。不屈の闘志こそ、戦士最大の商売道具なのである。


『南十字戦線』の設定を『七人の侍』に当て嵌めるとするならば、ヌクロア島が〔村〕であり、七傭兵が〔侍〕であり、石油屋が〔野武士〕ということになる。小説と映画の相違点を意識しながら読み進めてみるのも、ひとつの楽しみ方ではあるまいか。例えば、映画では攻防が始まるまで〔野武士〕は〔侍〕の存在にまったく気づいていなかった。しかし、小説の方では〔野武士〕に動きを察知されてしまっている。当然、敵は妨害工作を仕掛けてくる。入城を目指す〔侍〕と、それを阻もうとする〔野武士〕の死闘が繰り広げられるのである。