『殺意の香り』は1984年3月に公開された作品である。主人公の精神科医をロイ・シャイダーが、サスペンスものには欠かせない〔謎の女〕をメリル・ストリープが演じている。ロイ・シャイダーも色んな映画に出てるなあ。署長も演(や)れば、医者も演る。多種多様な人生を体験できるのが、役者稼業の面白さである。メリル・ストリープも巧演。信用できるのか、できないのか、はっきりしないところが良いのだ。怪しさ(妖しさ)は魅力に繋がる。女房に逃げられたばかりで、意気消沈しているシャイダー先生が、ブロンドの妖女に惹かれたとしても不思議ではあるまい。


主演男女の配役に抜かりはなく、構図も映像も丁寧に作られている。映画とは本来こういうもの。必然性もないのに画面をグラグラ揺らされても、ただ騒がしいだけで、少しも面白くない。謎解きのカギが〔夢〕である点も愛好家にはたまらない展開である。上映時間は91分に刈り込まれており、観る者は退屈を感じる前にゴールに辿り着ける。監督のロバート・ベントンは『スーパーマン』の脚本を書き『クレイマー、クレイマー』を撮った人。ストリープは『クレイマー』に続く起用となった。


ベントンの駒運びは定跡に忠実で、手堅い。序盤と中盤に関しては、まるで〔名局の棋譜〕を眺めているかのような気分を味あわせてくれる。このまま押し切ってくれるものだと信じていたが、どういうわけか、終盤は演出の調子が崩れ、結果的に序中盤の健闘がぶち壊しになってしまった。こういうパターンは珍しい気もする。

せっかくの大詰めなのだから、もう二発―贅沢を言うならば―もう三発は爆弾を用意しておくべきだった。まあ、ベントン監督としては、豚骨ラーメン的な濃厚さを避けて、魚介系のあっさり風味に仕上げたかったのかも知れないが…。原題の意味は『夜の静寂』だし。最後にひとつ。現職の刑事さえ血の海に沈めたほどの凶暴犯が、どうして、シャイダー先生のトドメを刺さなかったのか?この辺の描写にも疑問が残る。