黒澤明が意識していたかどうかはわからないが『影武者』(1980年)は『ゴッドファーザー』の裏返し的な映画だったと言えるかも知れない。武田信玄は戦国最強を誇る武装集団の首領(ドン)である。

信長も信玄の動向に関しては、相当警戒していたみたいである。武力衝突も徹底的に避けている。

信長は信玄とまともに戦ったことは一度もなかったと記憶している。理由は簡単である。戦っても負けるからである。信長は勝てない勝負はしない男だ。実際、盟友家康も三方ヶ原の合戦で、武田軍に惨敗を喫している。野戦名人としての家康の自信を、甲斐の虎は粉々に粉砕したのである。風林火山、恐るべし。


武田信玄は政治家としても、戦術家としても有能な人物であり、戦国期を代表する名将の一人である。だが、偉大なる信玄は映画の序盤で姿を消してしまう。残された者たちの右往左往ぶりが、滑稽でもあり、哀れでもある。ゴッドファーザーを失った組織とは、これほどまでにもろく、危ういものなのだろうか。

確かに信玄は偉大であった。だが、偉大であればあるほど、この世を去った時の衝撃も大きい。信玄の抜けた穴は致命的に深く、埋めようにも埋められなかった。カリスマの訃報は、敵どころか、味方にも秘密にしなければならない。家臣団の迷走はここから始まる。

素性もわからぬ犯罪者が〔御屋形様にそっくり〕というだけで、影武者役に駆り出されたのもそのためである。死んだ人間の影武者を演じるぐらいアホらしい話はない。幹部には幹部の論理があるのだろうけど、理解したいとは思わない。俺は影武者に同情する。


どうして、ここまでややこしいことをしなければならないかを考え出すと〔武田家にマイケルがいなかったから…〕という結論に落ち着く。武田家にも、勝頼という立派な息子がいるのだが、信玄の後継者に相応しいとはとても言えない。器量的にも、実力的にも数段劣る。

勝頼本人もその点はある程度自覚しているらしい。けっして、頭は悪くないのだ。それなりの教育も受けているだろうし。

しかし、眼前の玉座を諦めるほどには賢明ではなかった。就くべきではない者が就いた場合、組織の衰退は急速に進み、遅かれ早かれ、自壊あるいは崩壊に至る。長篠の合戦で敗れた勝頼は、天目山に逃れるものの、滝川一益の軍勢に追い詰められ、そこで討たれた。

コルレオーネ・ファミリーにあって、武田家に欠けていたものは、優秀な跡取りの存在であった。ただ、武田家に限らず〔優秀な跡取り〕なんて、ざらにはいない気もする。ざらにいないから、苦労したり、喧嘩になったりするのだ。その意味においても、コルレオーネは強運の男であった。