『夕映えに死す』(徳間文庫)は、渡世人を主人公にした短篇小説が七品収録されている。渡世人と言っても〔木枯し紋次郎〕ではない。境遇や性格は似ているが、まったく別の人間である。笹沢左保は驚異的な生産量を誇る作家さんだが、よくもまあ、次から次へとアイディアが湧いてくるものである。発想力も凄いが、構成力も凄い。どの作品も冒頭から引き込まれ、終盤に用意されているどんでん返し的趣向に「あっ」と、驚かされる。初めから読み直してみると、巧妙な布石が序盤の段階で設置されているのがわかる。優れた時代小説であるのと同時に物語そのものの完成度が高いのである。天才の仕事と言う他はない。
『夕映えに死す』には〔風鈴の佐吉〕〔日影坂の喜三郎〕〔花井の政太郎〕〔一ノ宮の浜吉〕〔銀張りの徳次郎〕〔力石の銀次郎〕〔離れ山の新八〕の七渡世人が登場する。題名が示しているように、彼ら七人を待ち受けているのは凄惨な末路である。誰一人生き残った者はいない。全員が死ぬ。紋次郎にはできない(許されない)ことをやってみようという意欲的な試みである。シリーズものの主人公となれば、そう簡単には死ねなくなる。死んでしまったら、シリーズ自体が終焉(終演)を迎えてしまうからである。
ルパン三世もゴルゴ13も、放送や連載を重ねる内にだんだん死ねなくなり、最近ではゾンビめいた印象を発している有様だ。アンチ・ヒーローの代表格である紋次郎も、この制約からは逃れられない。
〔命の保障〕の獲得は、視聴者や読者に安心感を与えるが、物語の緊張感を削ぐ作用をするのも確かなのである。その鬱屈を晴らそうとでも言うかのように、笹沢先生は〔七つの死に場所〕を創作している。彼らが辿った運命は、あるいは、紋次郎が辿る(筈だった)運命かも知れず、多元宇宙の誕生さえ感じさせてくれる。
『夕映えに死す』の中で最も面白かったのは、第一エピソード『夕映えに明日は消えた』である。主人公は風鈴の佐吉。舞台が日本であることは間違いないし、時代設定も勿論〔江戸〕だが、どこか、マカロニ・ウエスタンの雰囲気を漂わせる作風である。佐沢先生も多少は意識していたのではあるまいか。
佐吉は〔胡瓜を盗んだ罪〕で、ボコボコにぶちのめされ、危うく命まで取られそうになるが、際どいところで、ムラの顔役に助けられた。助けられたと言っても、数日間命が延びるだけの話だが。どうせ殺すなら、水神祭の生贄に使おうというのだ。利用できる間はとことん利用する。骨の髄までしゃぶり尽くそうというこのやり方。先生にも同様の体験があるのかどうか、ムラ社会の閉塞性や排他性が丹念に描写されている。
佐吉に襲撃者の退治を依頼する際の卑屈な態度も実に不快である。昨日まで〔外道〕だの〔穀潰し〕だのと散々罵っていた連中が―まるで記憶が消し飛んだかのように―臆面もなく〔親分さん〕と持ち上げるのだ。まともな神経ではできない行動であり、彼らに羞恥心を求める方が無理というもの。恐ろしいのは、現代にも〔ムラ〕は存在するという点である。ムラに関わると異様に厄介だ。一日も早い脱出をお勧めする。