『2万5千年の荒野』は1984年に発表された作品である。原発事故を題材にした衝撃のエピソード。初めて読んだのは、多分学生の頃だと思う。その際は「なんかSFっぽい話だな…」で済ませてしまったが、改めて読み直してみると、ドキュメンタリー的な迫真性―鬼気迫るものを感じる。

ゴルゴの放った奇跡の一弾によって〔最悪の事態〕は回避されたが、劇中で提示されている問題の数々は何ひとつ解決されていないのがわかる。安全性よりも利益追求に熱心という意味では、一般企業も原発会社も同じなのである。ニッポンも同様である事は、わざわざ記すまでもあるまい。いや、その後の対応や態度を眺めていると「もっと酷いのではないか…」と、思ったりする。

扱っているものが扱っているものだけに、万全の態勢で管理運営されているに違いない。誰もがそう考えていた。少なくとも、俺はそう信じていた。無理矢理信じようとしていた節もある。あの激震が、俺の考えを粉微塵に打ち砕き、俺の抱いていたものが、都合の良い幻想に過ぎなかった事を、ウンザリするほど教えてくれた。


人類は制御範囲を超えたエネルギーを手に入れてしまった。暴走を開始したテクノロジーは、冷酷無残なモンスターと化して、俺たちを食い潰すだろう。人類が絶滅するのは、まあ、自業自得として諦めるしかないが、真に恐ろしいのは、その化物が地球自体を〔死の世界〕に変えてしまう危険性を帯びている事である。

かと言って、今さら後戻りもできない。人類は〔進む事も退く事もできない局面〕に追い詰められているのだ。将棋やチェスならば、投了すれば良いが、現実の場合はそうもゆかぬ。滅びを受け入れ、汚染された大地に白骨の山をさらすしかない。


『2万5千年の荒野』の主役は原子力発電所の建設に取り組むバリーである。彼は生粋の技術者であり、出世しようとか、財産を築こうとか、俗物めいた発想とは無縁の人物である。職務に誇りを持ち、自分の信念に忠実な性格である。仕事上の妥協は見逃せず、お偉方と衝突する事もしばしばである。

融通の利かない男ではあるが、些細なミスも許されない現場においては、バリーのような人材が必要になってくる。会社も彼のそういうところを買って、採用したのだろうが、経営が傾いてくると、正論は通らず、むしろ排除されてしまうのである。

説得も箴言も聞き入れられず、バリーの懸念は現実となる。欠陥原子炉〔アポロン1号〕は、悪魔の本性を剥き出しにして、地獄の瘴気を周囲に撒き散らそうとするのだった。普通の人間なら、この段階で逃げ出すだろう。だが、彼は逃げない。

無能経営者に対する怒りを一時凍結して、危機収束の陣頭指揮に立つのである。並の度量ではできない行動であり、この世に誠の勇者がいるとするならば、それはバリーその人を指す。

ゴルゴに破裂回避の急所となる〔サージ管の狙撃〕を依頼したのもバリーである。本来なら会社が支払うべき報酬を、自らの貯蓄を崩して払っている。その上、命まで懸けている。悲愴とさえ言える覚悟が、史上最強のスナイパーを動かしたのだ。まったく凄い男がいたものである。

ゴルゴもバリーを自分に匹敵する(或いは、それ以上の)仕事師だと認めたらしく、射撃後に意外な優しさを見せている。長大なシリーズの中でも、出色の名場面であり、さしもの俺も読む度に泣きそうになる。こういう英雄を生かせない首脳陣は早々に退陣してもらったが方が良いだろう。さもなくば、全員丸坊主にして、一から出直しである。猛省と謝罪に加えて、残された家族の生活保障をお願いしたい。