『暴力戦士』は1979年10月に公開された作品である。主演は健さん。もっとも、高倉ではなく、田中の健さんだが。石井版ウォリアーズとでも呼ぶべき(呼ぶしかない)映画であり、出来映えはさておき〔珍品〕あるいは〔奇品〕の棚に分類しても良いのではあるまいか。因みに本家ウォリアーズは同年2月に公開されている。日本公開は同年9月である。大胆と言うか、図々しいと言うか…。

摩擦や批判を恐れず、本家公開の翌月に亜流品をぶつける辺りが、いかにも東映らしい。深作欣二の『宇宙からのメッセージ』(1978年)の例もあるが、この会社特有の逞しさが、俺は嫌いではない。嫌いではないが『暴力戦士』の場合は、本家に太刀打ちできる部分がほとんど見つからず、惨憺たる結果に終わってしまった。


妙才石井ならば、いくらでも面白く作れそうな内容だが、期待していたほどには、映画は弾んでくれなかった。神戸から東京へ。手錠で繋がれた男女の移動劇が展開するのだが、先月観た『大脱獄』(1975年)のような命懸けの逃走劇に比べると、緊張度が数段落ちるし、どうしても、お子様ランチ的な雰囲気が拭えない。

お子様ランチも、丁寧に作れば、それなりに美味しく仕上がる筈である。しかし、映像も演技も演出も全体的に低調であった。作り手が題材を持て余しているような印象さえ受ける。退屈な映画は激しい眠気を誘う。さしものダサク好きも、眼を開けているのが精一杯の状態であった。90分にも満たない映画が、2時間にも2時間半にも感じられるのだった。

経験豊富な石井監督でも、こんな失敗を犯してしまうのだ。信じたくはないが、現実である。本人も決して納得はしていまい。その意味では興味深い作品であった。映画監督も人間である。超人ではない。時には凡打も打つし、三振もする。十割打者なんて、この世には存在しないのである。いるとすれば、それは〔神〕であろう。