公演が終わり、受付けでアンケート用紙を提出すると、俺は最後の目的地に向かって歩き始めた。曇天の空模様ではあったが、雨が降り出す事はなさそうだった。ムシムシと蒸し暑い。みゆき館劇場と、銀座の名物バー【ロックフィッシュ】が意外に近い事を、俺は地図上で確かめていた。

ロックフィッシュは〔日本一美味しいハイボール〕を呑ませる店として有名である。酒場系の随筆を読んでいると、高い頻度で登場したりする。昨今、ハイボール復活の機運(気運)が盛り上がっているのも、ロックフィッシュの影響が大きいのではあるまいか。店長の間口一就氏は、関西の老舗【サンボア】で修行を積んだ人。店には、工夫を凝らした缶詰料理が多数用意されているという。俺がロックフィッシュの存在を知ったのも、缶詰の本を読んだのがキッカケであった。


ロックフィッシュは銀座7丁目のポールスタービルの2階に入っている。開店時間は午後3時だ。もう始まっている筈である。銀座散策のフィナーレを絶妙ハイボールで飾るのも悪くない趣向である。ビルを見つけ、階段を昇ると、俺は待望の扉を視界に捉えた。だが、その途端に呑み気が失せてしまったのだった。

理由はわからない。今度いつ来られるのかもわからない。どういうわけか、意欲が湧かないのだ。自分の心が自分で把握できない。異常である。いよいよ、俺の頭も本格的に狂ってきたらしい。こういう時は退散した方が被害が少ない。俺は昇ってきたばかりの階段を使って、1階に降り、ビルの外に出た。


ロックフィッシュは次回の楽しみにとっておく事にしよう…と、俺は自分に言い聞かせた。店の場所は視認したから、知友を誘って訪れる事も可能である。なんとか、そういう展開に持っていきたいものだ。9月に上演が予定されている新作歌舞伎も気にはなっている。失業中の遊びは、どうも後ろめたさが纏わりつく。働きあっての遊び、遊びあっての働きである。片輪が飛んだままでは、車は前に進まない。

無心になって、遊びに埋没できる環境を築かなくてはならない。そのような事を考えながら、俺は混雑する駅前広場を抜けて、改札へと繋がる階段を降りた。(了)


☆みゆき館劇場…東京都中央区銀座6-5-17 銀座みゆき館ビル地下1階


☆ロックフィッシュ…東京都中央区銀座7-2-14 ポールスタービル2階