宮崎駿の新作である。真打ちの登場に大勢の人間が集まった。公開当日に「興収百億円・突破確実!」などという情報が流れてしまう化物みたいな映画である。全く景気の良い話だ。宮崎動画は高い動員力を誇っている。経済効果機能も相当なものだろう。映画の内容は別として「宮崎駿、恐るべし…」と、唸るしかない。こんな商品は他にない。ニッポン国民は、投票所には行きたがらないが、ジブリ産の劇場動画には足を運ぶのである。迂闊には比べられないが、落差に愕然となる。

『風立ちぬ』に関しては人一倍の興味を持っていたが、現在置かれている状況が状況だけに、鑑賞は先送りにしようと考えていた。おろかにも―7月20日(土)に狙いを定めて―山口百恵&三浦友和主演の同名映画(1976年公開)の感想文を投稿しようとも企んでいた。結局中止したけれど。

そんな俺が格安料金で『風立ちぬ』を観る幸運を得たのは先日のこと。映画通A氏のお誘いであり、断る理由がひとつも思いつかなかった。無職の身を顧みず、俺はいそいそと指定劇場へ向かった。俺は誘惑や欲望に極めて弱い人間なのである。


『風立ちぬ』は現実と幻想が融合した不思議な映画であった。宮崎駿が冒険や活劇の描写に意欲を失ってから久しいが、随所で繰り広げられる飛翔場面や疾駆場面には、胸を躍らせるものを感じさせる。

物語の主要舞台は日本だが、欧風の要素が適度に溶け込んでいて、独自の魅力を形成している。この辺りは、動画ゆえに到達できる領域であろう。肉豆腐や鯖の味噌煮や卵がけご飯など、食欲を刺激する場面も用意されていた。ありふれた定食類も、宮崎魔法にかかると、絶妙料理へと進化を遂げるのだ。


主人公の堀越二郎は、空想にひたりがちな性格ではあるが、知能と教養と義侠心を備えたサムライの末裔である。真に男らしい男であり、宮崎式の男らしさ(潔さと優しさ)を体現している。現(うつつ)に視線を戻し、巷間を見渡してみると、強さを伴なわない優しさを売り物にしている〔自称男〕が少なくない。二郎の男らしさとは別の次元であり、比較の対象にならない。又、揃いも揃ってアホ面なのが面白い。

ただ、同じアホ面でも、二郎の行動や言動に「はっ」とするならば、まだ修正の余地が残されている。ダメ人間の典型である俺でさえ「はっ」としたぐらいだから、感銘を覚えない者はまずいまい。もしいたとしたら、余程に感性が鈍いのだろう。


庵野秀明が好漢二郎に声を吹き込んでいる。異例の抜擢であり、公開前から話題を呼んでいた。頼む方も大胆だが、受ける方もいい度胸をしている。あくまでも推測だが、この起用は〔王位継承〕の事前運動を兼ねているような気がする。宮崎駿も鈴木敏夫も〔勇退後のジブリ〕を庵野に委ねようと考えているのではあるまいか。両監督の作風には、隔たりがあるものの、才能的には庵野の方が上かも知れない。海千山千の仕事師を束ねられるのは、井戸から出ない血縁者ではなく、実績と実力を兼備した歴戦者である。その意味では、庵野はまさに適任と言える。

そう思うと、二郎とカプローニの関係も象徴性を帯びてくる。彼らが語る〔美しい夢〕とは、設計であり、飛行機である。宮崎も庵野も〔動画〕という名の飛行機を飛ばしてきた。これからも大いに飛ばしてもらいたい。俺も追いかけよう。命が続く限り。