『利休』公開の3年後に公開された作品である。原作者は異なるが『利休』の続篇、或いは、姉妹編として撮られたのは明らかである。その意味でも『影武者』『乱』に似ている。結果的に、この映画が勅使河原宏の遺作になった。タイトル・ロールの豪姫(秀吉の幼女)に抜擢されたのは、当時19歳の宮沢りえである。
勅使河原監督は、りえに少女時代とおばちゃん時代の両方を演じさせるという大胆な実験を行っている。天海祐希の代役を立派にやり遂げたとかで、今や〔大女優〕の呼び名も高いりえさんだが、この頃は進化の途上段階であり、演技的にも経験的にも未熟であった。少女時代は勢いと度胸で乗り切るとしても、おばちゃん時代の表現は至難である。さしものりえも内心頭を抱えていたのではないか。
だが、流石に前衛映画の旗手として鳴らした勅使河原監督である。ありがちな老けメイクを放棄して、女吸血鬼めいた妖艶化粧を施している。かくして、勅使河原豪姫は〔時間を超越した存在〕と成り、時代劇の画面にSF的な雰囲気を加味させるに至ったのである。映画定跡に囚われない柔軟演出は、最後まで健在であった。
タイトル・ロールは豪姫に譲ったものの、この映画の実質的主人公は〔利休七哲〕の一人、大名茶人―古田織部である。織部は武将でもあり、芸術家(陶芸家)でもあるという極めてユニークなキャラクター。
勅使河原監督は「利休の次は織部だ!」と心に決めていたそうだが、こういう人物が時代劇(映画)の主役に起用されるのは、かなり異例の事である。俺などは、この映画を観て、初めて織部の存在を知った。義経、信長、武蔵、竜馬…綺羅星の人気は根強いし、俺も大好きだが、毎回同じ顔触れでは食傷症状をきたす。
視点や角度を変えてみる事で、従来とは異なる歴史像が浮かび上がってくる。日本史の再検証という意味でも、面白い試みだと思う。後進作家にも多少影響を与えたのではないか。山田芳裕が自作の参考にしたかどうかまではわからないが。
古田織部は映画全体を支える柱だから、当然配役が重要になってくる。我が日本映画界に逸材は少なくないが、その中で「織部が演じられる俳優が果たして何人いるだろうか?」と、思案や選考を始めると、人数は限られてくるのだ。
そりゃあ、演(や)ってくださいと頼めば、誰だって演ってくれるだろうけど、問題は役に存在感と説得力を持たせられるかである。
勅使河原監督が弾き出した答えは仲代達矢であった。仲代とは、不条理劇の名作『他人の顔』で一度組んでいるし、何と言っても『影武者』『乱』の主演を務めたという大実績を有している。前者では武田信玄&影武者を、後者では一文字秀虎を、仲代が繰り広げた力演熱演は評価に値するが「カツシンやミフネの代役をやらされている」という印象は拭い切れない。その点、織部は両大将には表現困難なキャラクターであり、仲代の個性が最大限発揮できる絶好の役であった。
黒澤二大作を経て、仲代はついに〔オレの役〕を獲得したのである。織部を演じて、彼のキャリアは更に輝きを増した気がする。現在、新文芸座で開催されている映画祭の上映作品に、どうして『豪姫』が選ばれなかったのか、不思議でならない。
この映画は序盤・中盤・終盤の三部構成になっている。中盤には、前作で重量級の演技を披露した三國連太郎が、全く違う役で登場し、観る者を驚かせる。落ち武者狩りに没頭する老武士を怪演。守りの芝居に徹した利休役よりも、こういう肉食獣的な獰猛キャラクターの方が三國さんに適している。本人も楽しそうだ。
太刀捌きも鮮やかだし、得体の知れない凄味もある。腹上死を遂げる最期の場面には、悲哀の中に喜劇性を盛り込んでいる。出番は少ないが、強烈な印象を放っており、後期を代表する仕事のひとつである。今月28日から催される映画祭の上映作品に、どうして『豪姫』が選ばれなかったのか、俺には不思議で仕方がない。