仲代達矢がステージに現れた瞬間、心臓の鼓動が幾分激しくなった。後光が差していた…とまでは言わないけれど、その道の達人や名人は、場の空気や雰囲気をガラリと変える力を持っているものだ。仲代も然り。

役者さんにも色んなタイプが存在する。映画の主力となる【戦艦】もいれば、敵役&脇役を得意とする【巡洋艦】もいれば、一芸に秀でた【駆逐艦】もいる。

仲代は戦艦級のスター俳優であり、巨匠名匠との仕事も数多い。人柄や努力は書くまでもないとして、他に類を見ないほど、作品運(そんな言葉はないが…)にも恵まれた人だと思う。実力と才能に、強運が加われば、人生そのものが映画と化す。


仲代達矢という俳優を意識し始めたのは、黒澤明の『影武者』が端緒であった。武田信玄と影武者の二役である。当時の俺(高校生)は、仲代がカツシンの代役として出演した事を全く知らなかった。知らない分、映画を純粋に楽しめた気がする。

武将の気品と盗賊の蛮性、全く異なる人物像を仲代は巧みに演じ分けていた。特に前者は秀逸。日本にもこういう俳優がいるのか…。などと、驚いたものである。

その後、俺が面白そうだなと感じる日本映画には、かなり高い確率で、仲代が出演しているのだった。主役もできるし、敵役もできるのが仲代の強味である。たとえ主人公であっても、内面に〔闇の部分〕を隠しているところが魅力的であった。

ヒーローと激しく対立するライバルとしても、極めて有能である。黒澤の『用心棒』『椿三十郎』では〔好敵手の典型〕とでも呼ぶべき二大キャラクターを鮮烈に演じている。続く『天国と地獄』では、狡猾誘拐犯(山崎努)を執拗に追跡する鬼警部を熱演。光要素と闇要素の融合具合が絶妙であった。戦国大作『影武者』『乱』では、連続主演の快挙を果たし、後期黒澤映画の旗艦として活躍している。


トークショーが始まると、仲代達矢の表情や動作に、全ての視線が集中した。聞き手を務めるのは、黒澤組のスクリプター野上照代である。仲代さんも野上さんも80代とは思えぬ活力を周囲に発散していた。とにかく元気なのである。

外見も風貌も〔老人離れ〕している。クリント・イーストウッドもそうだが、常に前を向いて生きている人間には、年齢なんて関係ないのだろう。肉体は多少衰えても、精神の刃は研ぎ澄まされている。横や後ろを見ている奴はダメだ。下は論外。早く老けるし、気がついたら〔ゾンビ〕或いは〔ミイラ〕になっている危険性すらある。


適所に辛辣なジョークを交えながら、二人の会話は進んだ。話題の中心は、上映が終わったばかりの『人間の條件』だが、予測外の方向へ話が転がり出したりするのが面白かった。俺の中にも、そういう展開を期待している部分があったので、大いに楽しめた。台本なしのフリートークだったと考えられるが―戦争みたいな黒澤現場を経験してきた二人だけに―会話の呼吸はぴったり合っていた。彼らの持つ体験や記憶は、無形ではあっても…否、無形だからこそ、邦画研究に欠かせない貴重な財産である。ショー後半には〔歴史上の人物〕に遭遇しているような不思議な気分を味わっていた。あながち、大袈裟な表現ではない。彼らの功績は、史書に確実に記録されるからだ。この日、俺は〔歴史〕と同じ空間に存在していた。(了)