実話の映画化である。この作品の存在を教えてくれたのは、随筆集『池波正太郎の銀座日記〔全〕』(新潮文庫)であった。何度読んでも面白い本であり、銀座の風景や作家の生活が丹念に描き込まれている。池波随筆の集大成という感じがする。

池波先生はヘラルドの試写室で『シルクウッド』を観ている。脚本監督:マイク・ニコルズ&主演:メリル・ストリープ。1983年公開の映画である。原発業界の暗部に踏み込んだ意欲作であり、現代日本に生きる俺達には「他人事」「他所事」では済まされない強靭な迫真性を有している。


物語の舞台は、発電所ではなく、原料たる「燃料棒」の製造工場である。当然、プルトニウムを扱っているわけだが、経営者も労働者も、危機意識が著しく欠落しており、驚愕場面の連続であった。素人の俺でさえ、背中に緊張の汗が噴き出た。

画面の中で繰り広げられている異様な光景が、ジョークでもなければ、マンガでもなく、まぎれもない【現実】である事に気づくと、俺の内面で「驚愕」が「戦慄」へと変化していた。こんな杜撰を続けていたら、人類どころか、地球そのものが死滅してしまうだろう。仮に発電所の稼動をストップしたとしても、もう遅いのである。大量の核燃料が丸ごと残るし、廃棄物の毒性も消えないからだ。支配階級はこの宿題を未だに解決できないでいる。否、端から解決する気などないのかも知れない。

池波先生も「人間たちは滅びて行くばかりなのか…」と、絶望の未来を暗示しているが、いよいよ、その【未来】が【現在】として、鎌首をもたげようとしている。


今から30年も前に、このような映画を制作したニコルズ監督の先見性は評価されるべきだし、ストリープの役作りも周到秀逸を極めている。シルクウッドは、颯爽たるヒロインではない。遅刻の常習者だし、どちらと言えば、ガサツな性格である。そんな彼女が「正義に目覚める」過程を違和感なく演じこなしていた。なかなか凄い女優さんである。組合の急先鋒として活動する彼女が、仲間である筈の同僚に煙たがられるという展開にも説得力がある。監督は入念な取材を重ねた上で、脚本を書いたのだろう。こういう現象は、彼女の通う工場に限らず、米国中、いや、世界中の職場で起きているのではないかと考えられる。シルクウッドが直面している問題は、俺達自身の問題でもあるのだ。

孤立化するシルクウッドに向かって、工員のおばさんが「失業はごめんだよ!」などと、大声で怒鳴る場面があった。失職の恐怖は、汚染の恐怖を上回るのか。

彼女の場合、健康よりも仕事の方が優先順位が高いらしい。バカみたいなおばさんであり、失笑は避けられない。とは言え、明日から職探しを始めなくてはならない身には、胸に突き刺さる台詞だったのも確かだ。置かれている立場や境遇が、印象や感想に微妙な影響をもたらすのも、映画の持つ特徴のひとつなのである。