『流れ舟は帰らず』は1974年の4月に発表された作品である。大飢饉が間近に迫っている。異常気象に慄く世の中を背景にして、紋次郎の旅は続く。当時の食料調達は国内生産に頼っていただろうから、全国的凶作は餓死地獄に直結する大問題である。本当の飢餓を体験したことのない者には、この恐怖は理解できない。


流刑島の生活も酷烈を極めたが、本土の状態も危険な領域に達しようとしていた。紋次郎は信州・小田井宿の貸元宅で一晩厄介になっている。その際に振る舞われたのが〔山盛りの丼飯〕である。今や「黄金よりも貴重」になっている米飯を供するのだから、小田井の貸元は台所よりも面目を重んじる人物らしい。

正統派の渡世人を迎える事は、ある種の栄誉ではあるのだが、食糧事情がこれ以上悪化すれば、そうも言っていられなくなる。業界特有の様々なルールも「食えるから」成り立っているのがわかる。食えなくなったら、真っ先に崩壊するのは任侠や仁義なのである。そのようなギリギリの境界線上に紋次郎は生きているのだ。


今回、紋次郎が「息子探し」を頼まれる事になる。瀕死の老商人の依頼であった。義侠心が働いたわけではない。人生は「死ぬまでの時間潰し」であり、潰し方が多少変化するだけの話である。最後まで「引き受ける」と返答しなかったところに、アンチ・ヒーローとしての意地のようなものを感じる。又、明快な回答を避けているようにも感じられる。安易に返事をすると「普通のヒーロー」になってしまうからだろう。アンチの称号を守り通すのも、結構大変なのだ。礼金二十両を拒んだのも、強烈な意思表示であり、紋次郎が金銭欲から超越した存在である事を示している。


探索役と護衛役を同時にこなすという離れ業を、紋次郎は軽々と演じている。高い洞察力と記憶力に加えて、卓越した戦闘能力も有している。スーパーヒーローの資格充分。演じようと思えば、いくらでも演じられる。ただ、正義の味方に徹するのが照れ臭いだけなのだ。英国に生まれていれば、ホームズ級の名探偵として活躍していただろう。行方不明のドラ息子―小平次の生死を巡って、二転三転の展開が用意されている。どうやら、彼が生きているのは確からしいが、誰が小平次なのかわからない。莫大な遺産を狙う偽者(嘘つき)どもが跋扈して、読者や腹違いの妹を散々惑わせる。だが―閻魔宮に設置されているという『浄玻璃の鏡』にも似た―紋次郎の慧眼は、早い段階から真実を貫いていたのである。


人足集団を束ねる【鬼の十兵衛】との直接対決が、最大の見せ場になっている。十兵衛は「気に入らない」という理由のみで人を殺すとんでもない悪党だ。しかし、斬り合いに関しては、紋次郎の方が数段上であった。決着まで時間はかからない。

水路を利用して、厚田宿から脱出する際、小平次の生き方を「流れ舟みたいなもの」と評した紋次郎だが、案外彼は、自分自身の事を語っていたのかも知れない。