『扉の影に誰かいる』(主演)『ロサンゼルス』(主演)『特攻サンダーボルト作戦』(助演)に続く四本目のブロンソン映画。歴史に残る名作とは思えないし、芸術の薫り豊かな逸品とも思えない。だが、結構面白いのである。俺にとっては、この「結構面白い」というのが重要なのである。頭が悪いから、ムズカシイ事は良くわからんしね。面白くなるまで一時間も二時間もかかるような映画にはとてもつき合い切れない。物語は単純に、細部は緻密に。そういう映画が俺は好きである。
我らがブロンソンが、伝説のガンマン―ワイルド・ビル・ヒコックに扮している。ヒコックの標的は、魔牛ホワイト・バッファローである。原因は色々考えられるが、このところ、ヒコックはずっと「魔牛の夢」に悩まされている。生身の相手ならば、何者も恐れないし、打ち勝つ自信はあるが、さしもの勇者も「悪夢の襲撃」には対しては無力である。夢に殺されかけると、ヒコックは本能的に愛銃(二丁拳銃)を全弾ぶっ放してしまう。弾丸は現物である。近くで寝ていたら、蜂の巣にされる危険性がある。これまで死人が出なかったのが不思議なぐらいである。
この症状を治す方策は「ホワイト・バッファローを仕留める(殺す)しかない」という異様な結論に辿り着いたヒコックは、魔牛狩りへ出発するのだった。
意外な動機である。最初は、西部劇と猛獣映画のミックスもの…程度に考えていたのだが、実際は「悪夢の払拭」に挑む中年アウトローの苦悩を描く映画だったのだ。殺しに殺しを塗り重ねる血腥い生活は、彼の精神を確実に蝕んでいたのである。肉体の方も「娼婦にうつされた病気」に侵されており、昔の恋人(キム・ノヴァク)に誘われても、拒否する以外に選択肢はないのだった。
ヒコックは心も体もギリギリの状態に追い詰められている。その疲れ具合(崩れ具合)を、男ブロンソンが絶妙に演じる。ほとんど、地のままのような気もするが、仮にそうだとしても、自分にぴったりの役を選ぶ嗅覚は、俳優業には欠かせない資質であろう。魔牛との対決に加えて、宿敵同士に芽生える奇妙な友情や、差別意識の露骨表現など、煮え立つ鍋に各種具材がたっぷり。贅沢な97分が堪能できる。
俺の観たDVDには、テレビ放映時の吹き替え版も収録されており、森山周一郎がブロンソンの声を担当していた。ブロンソンと言えば、大塚周夫のイメージが強烈だが、森山ブロンソンも悪くはなかった。大物(俳優)には大物(声優)が配役される。