『新・座頭市』(第1シリーズ)DVD第3巻には、第7話『わらべ唄が聞こえる』第8話『雨の女郎花』第9話『見えない涙に虹を見た』の計3エピソードが収録されていた。週替わりで登場するゲストアクターも豪華だが、監督の方も凄い顔触れである。第7話は勝さん本人が、第8話は森一生が、第9話は田中徳三が担当しており、極めて「大映色」の濃い布陣が敷かれている。主題歌は裕次郎だし、テレビ時代劇の枠を軽々と飛び越え、ほとんど映画水準にまで達している。
当時の視聴者は真に幸福であった。発表の場が劇場から茶の間へ移転し、毎週「新作映画」が封切られていたのだから…。
カツシンの奔放演出、森一生の堅実演出に続いて、田中徳三が本塁打に迫る快打を飛ばしてくれた。物語的にも面白いが、画面構成も凝っている。光と闇を強調した映像の数々に田中監督の美学を感じる。
座頭市の幼馴染みを伊丹十三と音無美紀子が演じている。伊丹と音無は夫婦という設定。前者は金持ちの道楽息子、後者は少年時代の市さんが恋心を抱いていた相手である。奇妙で過酷な三人旅が始まる。
嫌味亭主を才人伊丹が巧みに表現している。この男、博打狂いが祟って、今や破滅同然の境遇だが、座頭市に対しては、矢鱈に高圧的な態度で接するのだった。虚勢を張れば張るほど、惨めになるだけだが、自分の没落を、同郷の市に気づかれまいと懸命の様子である。バカみたいな話だが、本人は至って真剣なのだ。
煮ても焼いても食えない「エリート崩れ」は、曲者伊丹が最も得意とするキャラクターであろう。まさに独壇場であり、座頭市もタジタジのアクの強さを発散している。彼が画面に現われる度に不快感が募るが、その不愉快さは周到な計算の上に成り立っているのである。憎まれ(嫌われ)役も、ここまで演(や)れれば、大したものである。或いは、この時期から「演出の練習」をしていたとも考えられる。好奇心いっぱいの人だから、カツシンや田中監督とも、活発に意見を交わしていただろうし。
日本最強(だと思う)のシネマディクト―池波正太郎も、演技者伊丹十三の才能を高く買っていた一人である。伊丹さんが演出業に乗り出してからも、池波先生の評価は変わらなかった。
長年の役者経験が、映画作りに生かされていたのは確かである。少なくとも『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』の初期三作は、独創的な内容に加えて、配役の感覚も抜群に冴えていた。だが、伊丹王国の隆盛は長くは続かず、第4作『マルサの女2』以降は、急激な衰退を辿るのだった。仮に伊丹監督が時代劇方面に進出していたら、どんな映画を撮ってくれただろうか?楽しい想像が脳内に膨らむが、監督が現世を去ってしまった以上、それは夢に過ぎず、幻の域を出ない。