今日―1月12日は映画監督深作欣二の命日である。没後十年。時の流れの何と早い事か。深作も去り、彼を支えた盟友の多くも「あちら」に行(逝)ってしまった。

殺伐たる荒野と化した現世よりも、あちらの方が楽しそうな気もするが、人間は命がある限り、生き続けなくてはならない。どんなに辛くても、自らの命を自ら縮める事だけはやめて欲しい。死を選ぶ前に「脱出口」が本当にないのかどうか、再度考えてもらいたい。中傷されようが、揶揄されようが、罵倒されようが、死ぬよりマシである。だから、俺ももう少し頑張ってみようと思う。


現実の暴力は大嫌いだし、あってはならない事だが、虚構(映画)内ならギリギリ許される。人間の中から凶暴性や破壊性を完全に拭い去る事はできない。擬似的な形ではあるが、映画は内面に渦巻く闇エネルギーの解放の場所でもあるのだ。

深作映画でもバイオレンスは重要素材のひとつだが、陰惨な場面は意外に少なく、滑稽味を帯びている場合さえある。監督自身がそれを狙っているのかどうかはわからない。結果的にそうなっているだけなのかも知れない。悲喜劇ならぬ「惨喜劇」と呼びたくなるような瞬間が毎回用意されているのだ。ただの殺し合い映画からは感じられない独特の魅力であり、そんな深作映画が俺は大好きである。


今日から7日間。池袋の新文芸坐では【深作欣二まつり】が開催されている。起床後、俺は朝飯も食わずに新文芸坐を目指した。初日のプログラムは『ドーベルマン刑事』(1977年)と『柳生一族の陰謀』(1978年)の二本である。

現代劇と時代劇、深作バイオレンスをたっぷり堪能した後、壇上に登場したのは、我らがスーパースター千葉真一その人であった!拍手と歓声。予告はされていたとは言え、客席は大いに沸いた。千葉ちゃんは、今日上映された二作品の内、前者では主演を、後者では準主演を務めている。さっきまで深作ワールドの中で暴れに暴れていた野生刑事、或いは、隻眼剣士が、虚構の壁をぶち破って、現実世界に飛び出してきたかのような痛快な錯覚を覚えた。


千葉ちゃんも、年齢的には70代半ばを迎えようとしているが、異常に元気なので安心した。老人離れ(そんな日本語はなさそうだが…)した気迫と情熱に終始圧倒された。千葉ちゃんの舞台挨拶は急遽決まったものらしい。その証拠に上映プログラムには記載されていない。どうやら、本人から登場を申し出たようだ。

渡米予定を変更してまでの緊急出演であり、なおも盛んなサービス精神が、俺達ファンを熱狂させるのだ。数メートルの距離に千葉ちゃんを捉えた興奮と幸福感にひたりながら、俺は新文芸坐をあとにした。さあ、もう思い残す事は何もない。俺は俺に与えられた役を遮二無二演じるだけである。