『マンディンゴ』(1975年公開)は、黒人差別の実態を克明に描いた衝撃作である。町山智浩先生推奨の一本。職人監督リチャード・フライシャーが演出を担当している。或いは、この映画こそ、フライシャーの最高傑作かも知れない。ホワイトは貴族、ブラックは奴隷。肌の色で人間の上下を決めるなど、まさに愚劣の極みだが、その愚劣さの中にこそ、人間の本性は潜んでいるのである。
人間とは「差別をやりたがる」生き物なのだ。否定するのは自由だし、人類平等を絶叫するのも結構だが、本当なんだから仕方がない。どんなに美しい理想も、醜悪な現実にはかなわないのである。
人類の歴史は差別の歴史と言い換えても良い。現代日本でも「差別」は日常茶飯であり、平然と行われている。学校でも職場でも家庭でも、精神の歪んだ(腐った)連中が、弱者を虐げよう虐げようと一生懸命である。
そういう類は「差別をしている」という自覚さえ持たないから厄介である。無神経な人間は文字通り神経がない。心を土足で踏み躙られた者の辛さや哀しさなど、わかる筈もないし、もしわかるなら、最初からそんな事はやらないだろう。
踏み躙られた者が、踏み躙る側へ回る場合もある。自分よりも立場の弱い者を見つけては、執拗な迫害を加えるのである。変態である。奴らの標的に定められ、俺も散々な目に遭わされたものだ。俺の心はズタズタに引き裂かれ、現在も血潮を流し続けている。破壊された心は二度と元には戻らない。精神面に被ったダメージは、時として、肉体に負った怪我よりも深刻である。苦悩の果てに自殺に追い込まれる者もいるだろう。だが、その原因を作った奴らは、反省もしなければ、謝罪もしない。良心が欠落しているから、呵責も責任も感じようがないというわけ。
被害者よりも加害者が威張っている世の中なんて狂っているとしか言い様がないが、人間の存在自体が狂っているのだから、構成する社会が狂ってしまうのは必然的現象なのかなとも思ったりする…って、映画とは随分かけ離れた内容になってしまった。これでは『マンディンゴ』の感想文とは言えないですね。酷い脱線だ。
『マンディンゴ』を観ている内に、腹の底から怒りの溶岩が湧き起こってきたのなら、それは極めて正常な反応である。その感覚を大切にしてもらいたい。これは、フライシャー監督が仕掛けた強烈な映像爆弾である。時を経ても威力抜群。巷に溢れる「毒にも薬にもならない映画」を、百本軽く吹き飛ばす破壊力を秘めている。
挑むのか、避けるのか。相当危険な領域ではあるが、その分、得る収穫も大きい筈である。敢えて踏み込む勇気を持って欲しい。
この映画が「差別を助長するもの」とは思えない。真実を直視しなければ、問題を考えようがないじゃないか。バカな事を言うな。偽善屋はこれだから困る。