某日。最寄り駅の改札を抜けて、俺は商店街に足を運んだ。状況は依然として厳しい。しかし、今夜はまともなものを食べる心算だった。夕刻であった。日中は温暖だが、この時間になると流石に寒さを感じる。酒場や居酒屋で鍋物がメニューに加わり始める時期である。今年の「初鍋」は今日にしようと心に決めていた。
場所も決定していた。天麩羅が看板料理の店である。同時に大層気前の良い店でもある。アルコール類を注文すると、自動的に酒肴数品が出される。無料である。ライスのおかわりや大盛りも自由である。最初は驚いたが、どうやらそれが、女将さんの方針らしい。カネがなくてもたっぷり食べられる。固定客が多いのも頷ける。儲からない客の代表のような俺も平等に扱ってくれる。料理が美味しいのは勿論だが、和やかな雰囲気が一日の疲れを癒してくれる。
夏場はハイボール一辺倒だったが、近頃は焼酎のお湯割り(梅干入り)を頼む機会が増えてきた。鍋物も豊富である。湯豆腐にするか、たらちりにするか、牡蠣鍋にするか…刹那迷ったが、その夜は牡蠣を選んだ。少々値は張るが、来年春までの収入はほぼ約束されている。これぐらいの贅沢は許されるだろう。それに、風邪の影響で落ちた体力を回復させる意味もある。服薬も大事だが、結局、病魔を打ち払うのは自身の抵抗力なのである。海産の雄―牡蠣のエネルギーを吸収して、しつこく残留している風邪勢力との決戦に臨む所存であった。土鍋に美しく盛られた具材の数々。牡蠣や野菜が煮えるまでの時間を、お湯割りを呑みながら過ごす。知人友人とワイワイ食べるのも楽しいが、一人鍋―小鍋立ても悪くないものだ。
心地好く酔いが回り出した頃、俺は鍋との格闘を開始した。既に何皿かの酒肴が胃の中に消えている筈なのに、我ながら物凄い食欲である。ひとつひとつの食材を吟味して食べる。常に飢えていると、食事に対して、恐ろしく真剣になる。この真剣さはかつての俺にはなかったものだ。良い傾向なのか、悪い傾向なのかはわからないが、貧乏が俺の人間性を劇的に変化させたのは確かである。
鍋に残ったスープを使って、牡蠣雑炊を作った。飯を放り込み、再び加熱する。難しい技術は要らない。焦がさないように注意しなくてはならないが、その程度なら俺にも可能である。生卵を鍋中に落とし込み、適当にかき回したところで食べた。
濃厚な味わい。牡蠣の旨味が完全に溶け込んでいる。
こういうものは熱い内に平らげなくては価値を失ってしまう。最後の一粒まで、無心で食べた。勘定も安かった。幸先良し。今年(今冬)の「鍋遍歴」はここから始まる。