手元にある【新世紀大辞典】で『三人姉妹』を調べてみると「チェーホフの四大劇の1つ。1880年代の停滞したロシア社会の、卑俗な風潮の中で倦怠と苦悩の日日を過ごす3人の姉妹を通じて、生きることの意味を追求した作品」と、説明されていた。何やら難しそうな内容である。俺にはチト敷居が高そうだ。
青年団の第69回公演『アンドロイド版 三人姉妹』は、この作品が土台になっているらしい。脚本と演出は平田オリザ。原作の要素がどれぐらい反映されているのか、俺にはわからない。オリジナルを観ていないから判断の仕様がないのである。まあ、仮に観ていたとしても、下せたかどうか、怪しいものだが…。
題名にもあるように、この芝居には「ロボット」と「アンドロイド」が登場する。本物である。最初は役者が着ぐるみを着用して出てくるのかと思っていたら、全然違った。物語の時代設定は2040年代。場所は日本。職場や家庭の中に「彼ら」が入り込み始めてから、かなりの時間が経過しているらしく、劇中人物は「彼ら」を見ても、いちいち驚いたり、騒いだりはしない。SF風の設定だが、あくまでも「風」であり、物語の中核は、人間描写である。いつの時代も変わらない滑稽さと俗っぽさ。
出演者は青年団の主力(だと思う)が投入されているが、相当に演(や)り辛い芝居だったと考えられる。この作品に登場するロボットとアンドロイドは、決められた動作と台詞がプログラムされているに過ぎないからである。
役者は「彼らの調子」に合わせて演技をしなければならない。機械人形に融通は利かない。ちょっとした時間のズレが、芝居の崩壊に繋がりかねないのだ。映画とは異なり「もう一度やり直します」という訳にはいきませんからね。
強者演出家の中には「やり直した」人もいるそうだが、基本的に、走り始めた演劇を途中で止める事は有り得ない。さしもの精鋭部隊も、これまで経験した事のない緊張に戸惑ったのではないかと思う。
実戦では、ごく自然に演じていたが、その「ごく自然」が大変なのだ。半端劇団にはとても消化し切れまい。青年団の技量水準の高さがうかがえる公演であった。
何気ない台詞の積み重ねがオリザ演劇の特徴である。劇なのに「劇的な」台詞が極端に少ない。役者の演技も過度の誇張を控えており、まるで「現実の風景」を眺めているかのような錯覚さえ覚える。もしかすると「虚構の終着点」は「現・うつつ」なのかも知れない。異世界に飛び立った筈のロケットが「宇宙を一周」して、スタート地点に戻ってきたというわけ。映画にも小説にも―現実界には有り得ないような―エロスとバイオレンスを求めている俺には、やや退屈なのである。
オリザ脚本の優秀性や各俳優さんの技巧の素晴らしさは認めるが、俺の嗜好との多少の隔たりを感じるのも確かなのである。とは言え、たまにはこういう重厚芝居を観て、適切に中和しないと、本当のバカになってしまいます。解毒作用は覿面。
☆本公演の情報は…http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/index.html