千葉ちゃんのインタビューを読んでいると「見世物的アクション(の出演)に抵抗があった」という告白が繰り返されている事に気がつく。仮に「見世物」だとしても、堂々の主役である。大勢のファンも獲得したし、海外でも結構売れた。それでも、千葉ちゃんの胸中は複雑であった。彼の抵抗感は何処からやってくるのだろうか…?
恐らく「意味のない格闘」を毎度演(や)らされる事に、ウンザリしていたのではあるまいか。仕事は仕事として、キチッとやり遂げるが、空虚感は拭えない。心酔する深作(欣二)監督の映画に出たくても、スケジュールが合わないから出られない。鬱屈は蓄積する一方。そのような苦悩を内面に抱えながら、千葉ちゃんは70年代を過ごしていたのだ。自由奔放なイメージが強いが、案外繊細な性格なのである。
『けんか空手 極真拳』(1975年公開)も見世物濃度の濃い内容だが、活劇以外の見所もちゃんと用意されており、中々面白い映画に仕上がっている。これなら、悩める千葉ちゃんも納得の上で演技に集中できたのではないかと思う。
「現代版・宮本武蔵」とでも呼ぶべき、大山倍達―マス大山を千葉ちゃんが力演する。試合場面や対決場面にほとばしる裂帛の気合。まるで、魔神大山が乗り移ったかのような、鬼気迫る表情が素晴らしい。演技者としての才能と武術家としての資質が融合した結果であり、千葉ちゃん故に成立した名演であった。他の俳優さんにやれと言っても、ここまではやれんでしょう。余人には踏み込めぬ練磨の領域。
映画の中盤、ヤクザの縄張り争いに介入した大山は、刑務所帰りの刃物男(室田日出男)を撲殺してしまう。大山の拳は人間の眉間を砕く鋼鎚と化していたのだ。
幸い「正当防衛」が認められたものの、大山が被った精神的ダメージが治癒するわけではない。生涯「人を殺めた」という罪悪感に苛まれるのである。
憔悴の大山の前に―追い討ちをかけるように―刃物男の遺族が現れる。そうなのだ。世間的には落伍者でも、妻にとっては夫であり、息子にとっては、父親なのだ。彼らから見れば、大山は仇敵であり、怨念の対象なのである。法律とか、正当防衛とかは関係ない。理論や理屈では割り切れないのが、人間の心情なのである。
大山のその後の行動に、俺は驚愕と感動を覚えた。実戦空手の体現者は、野獣の猛々しさと同時に無限の優しさを秘めていたのだ。世の中には、便所虫みたいな連中―人一倍威張っていたいけど、責任は取りたくない―が溢れている。便所虫に関わっていても無益だし、自分の程度が下がるだけである。
生きるのに迷ったら『けんか空手 極真拳』を観れば良い。大山師匠の生き方や責任の取り方は、あなたの参考になるだろう。急げっ。本物の男はここにいるぞ!便所虫が撒き散らす毒気や瘴気に汚染される前に学んでおく必要がある。