蛮人マックス(ジーン・ハックマン)と優男ライオン(アル・パチーノ)が繰り広げる奇妙な道中を描いた作品である。題名の『スケアクロウ』とは「案山子」とか「こけおどし」というような意味らしい。案山子とは「誰」を指しているのだろうか?主役二人の事だろうか。或いは、彼らが住んでいる国の事だろうか。公開は1973年。

まだ若いジーン・ハックマンとアル・パチーノがタイプの異なる案山子野郎を熱演している。事前の期待ほどには面白くはなかったものの、随所に魅惑的な映像が用意されており、まどろみの世界に引き込まれる事はなかった。この辺り、カメラマンとしての技量にも長けたシャッツバーグ監督の強味が充分に発揮されている。


バイオレンスを呼ぶ男―マックスが、立ち寄る先々で暴力火山を噴火させる。マックスの放散する物騒な気配が、各地の喧嘩屋を刺激し、騒動を引き起こすのだ。人生の再出発を祝う酒席が、いつの間にか、殴り合いの修羅場に発展する。

策略や武器に頼らず、常に正面から戦うのが、喧嘩師マックスの流儀らしい。しかし、そのような流儀は、世間にも官憲にも通用しないのだ。ライオンも同罪となり、二人は強制労働を命じられる。宿願の計画は早くも座礁頓挫の様相である。


最初は不貞腐れていたマックスだが「ライオンの受難」を知るや、表情がガラリと変わる。盟友の仇討ち―これほど喧嘩屋の魂を熱くさせるものはない。鬱屈を爆発させる大義名分を獲得した喜びに震えつつ、マックスは復讐戦に臨むのだった。

標的を捕捉したマックスは、荒熊の如く仇敵に襲いかかる。相手も必死の抵抗を展開する。その刹那、シャッツバーグのカメラは両者への接近を避け、遠方撮影に切り替わる。その達観した演出姿勢が、この喧嘩場面の印象度を更に高めている。


ライオンの旅の目的は、奥さん(ベニー・アレン)との再会であり、我が子との対面であった。五年間の船乗り生活は妻公認のものではなかったのだ。ライオンはお腹の赤ちゃんといっしょに家庭を捨てた。彼の中で、どのような心理が働いたのかは不明だが、亭主としても、又、父親としても「落第印」を捺される事は免れない。

自宅の近所まで来ているのに、直接は行かず、電話で済ませようとするところに、ライオンの迷いと脆さが色濃く出ている。責任を持てない者が、結婚をしてはいけないし、結婚した以上は責任を果たさなくてはならない。そして、放棄した責任は、後年「重い税金」と化して、必ず本人に撥ね返ってくるのである。

ライオンの場合は「妻の反撃」であった。放たれた刃は傷口を抉り、精神を粉砕して、ライオンを発狂に追い込むのだった。病院に担ぎ込まれた親友を見たマックスの判断と行動が、物語を秀逸な帰結へと導く。小道具の巧みな使い方に「あっ!」と言わされ、映画は驚きの余韻を残しながら、やや唐突な感じで、幕を閉じる。