『モスキート・コースト』(1986年公開)は、退屈な部分もあるが、全体的には、なかなか楽しめる映画であった。随所に魅力的な映像風景が用意されており、それを期待しながら観続けたようなところがある。主演はハリソン・フォード。明晰な頭脳の持ち主だが、性格的には相当な曲者である。俳優としては、能天気なヒーローよりも、こういう異色のキャラクターの方が、面白味があるのではないか。
フォード一家は「文明の毒」に侵された母国に別れを告げて、新天地を目指す。新天地と言っても、密林の真ん中である。フォードはここに自分の王国を構築しようとするのだ。これにつき合わされる家族は大変だし、執念を通り越した狂気のようなものを感じさせる。その意味では、彼は「カーツ大佐の親戚」なのかも知れない。
王国の建築が一応の完成を迎えると、フォードは計画の最終段階である「巨大製氷機の建造」に着手する。その才能と情熱には、敬服の念すら覚えるが、同時に「この製氷機に一体どれほどの意味があるのだろうか?」という疑念が湧くのも確かである。まあ、男という生き物は幾つになっても「夢」が大好きなのだ。俺も夢を食って生きている。長城や金字塔を築きたがり、大型戦艦を海に浮かべたがるのである。やりたい事をやり遂げる為には、どのような苦難困難も厭わないし、批判や非難にも屈しない。人間、生きたいように生きられれば最高である。妥協の蓄積を続けている者は、フォードの生き方に憧れと眩しさを感じる筈である。
実際はそうでもないのだが、俺なども「生きたいように生きている部類」に見えるらしい。中には、精神的に歪んでいる奴もいて、酷い陰口や悪口に晒された。
言葉のナイフに俺の強靭とは言いかねる心がどれほど傷つけられた事か。
そのせいで随分落ち込んでいたが、ある方に「それは『羨ましさの裏返し』だから、余り気にするな」と励まされて、ようやく失意から抜け出したのだった。世の中の片隅に辛うじて棲息している俺が、まさか、他人様に羨ましがられようとは、思ってもいなかったので、その意見は俺に衝撃(新鮮な驚き)をもたらしたものであった。
話を映画に戻そう。物語の中盤、ある理由から「フォードのピラミッド」は崩壊に追い込まれる。それは、楽園の瓦解を意味していた。事故後に大量発生した「毒」によって、周辺が汚染されてしまったからである。フォード一家は、王国からの脱出を余儀なくされるわけだが、その姿に我が身を重ねずにはいられなかった。鋭い警告である。テクノロジーは便利性と危険性を一緒に孕んでいる。後者が露出した時の恐ろしさを、俺達は考え直す時期に来ている。考えても、もう遅いような気もするが、再発の防止を掲げるなら、先ずここから始めなくてはならない。それを省略したら、また惨事が起きる。そして、この国は、今度こそ間違いなく地上から滅び去る。
フォード家の長男をリヴァー・フェニックスが扮演している。あれ?どっかで見たような組み合わせだなと思ったら『最後の聖戦』(1989年)だった。この映画で、リヴァー・フェニックスはインディ・ジョーンズの少年時代を演じていたのだ。スピルバーグ監督が『モスキート・コースト』の配役を意識していたかどうかわからないが…。