『100,000年後の安全』(2011年公開)は今年観た映画の中では、最も重い作品であった。1時間半にも満たない中篇だが、扱っている内容は重量級に属する。その重さに何度か押し潰されそうになった。本来、俺のような野放図人間が語るべき作品ではないのだが「史上最悪」と言っても過言ではない原発事故が発生した国に住んでいる者として、感じた事を書き残しておきたいと思う。
原子力発電が背負っている「放射性廃棄物の行方」という深刻な問題に正面から取り組んだドキュメンタリーである。案内役と取材者は監督自らが務めている。
地球上には途轍もない量の放射性廃棄物が存在しているらしい。放射性廃棄物が厄介なのは「絶対に消せない」という点である。廃棄物の毒性が無害水準に下がるまで、10万年もの時間を要するという。有限の時を生きる人間には、無限に近い数字である。処分も処理も出来ない。何処かに保管しておくしか方法がないのだ。廃棄物の量は増える一方である。減らないのだから、増えるのは当り前だ。これからもどんどん増え続けるだろう。人類は深入りし過ぎた。もう元には戻れません。
カメラの向かう先は現在建築中の地下施設である。オンカロと呼ばれるその施設は、専用の容器に封印された魔神の安置を目的としている。オンカロは十万年の時間にも耐えられるように設計されており、世界初の「自己完結型・隔離施設」なのだそうである。埋蔵許容量に達した時点でオンカロの入り口は永久に閉鎖される。その後は何人も施設の中に入る事は出来ないし、又、許されない。
オンカロ計画の凄いところは「現人類の滅亡」を前提にしている事である。開発メンバーの思考は「未来人類にオンカロの存在意味をどうやって伝えるか」にまで及んでいるのである。警告のメッセージを刻んだ石碑を建てるか、或いは、何も残さない方が良いのか。討議を重ねている最中である。SF的という言葉では表現し切れない段階に彼らは進んでいる。否、現実がSFを完全に食ってしまっている。10万年後の地球が「誰」の支配下にあるかなんて、予測や想像の限度を超えているような気もするが、彼らは大真面目で議論を展開しているのである。
オンカロはフィンランドが世界に先駆けて着手した「最後の砦」である。各国首脳は「オンカロの起動」をどう受け止めているのだろうか?知らん顔を決め込むのは勝手だが、このまま突進してゆくと、人類は自滅するだけではなく、地球そのものを道連れにしかねない。仮に第二第三のオンカロを作ったとしても、真の意味での解決にはならないのである。地獄の歯車は止まらないし、人類の運命も変わらない。感情を抑えた静かな語り口が、観る者に絶望の未来を暗示してくれる。
このような世界的な動きに対して、個人の思惑などは全くの無力である。激流に身を任せて、行けるところまで行くしかないのだろう。終着点に何が待っているのかぐらいは、自分の眼で確かめたいものだが、俺には不相応な望みかも知れない。