某日。近所の公園を移動していたら、着ぐるみ風(!)の衣装を身に着けた幼児とすれ違った。ちょこちょこと遊歩道を歩く姿が微笑を誘う。

子供は無邪気なものである。穢れもないし、警戒心もない。黒尽くめの格好をした怪しげなおじさんにも、愛想良く手を振ってくれる。その笑顔はまさに天使のそれであり、人間不信の塊りのような俺の心さえも開いてしまう力がある。

瞬間「だっこしたい」という衝動に駆られたが、慌てて中止した。誘拐犯と間違われるのも嫌だし、人様の子供を落っことしたりしたら、それこそ大変だからである。しかし、無視も出来ないので、俺も手を振った。その時の幼児の嬉しそうな顔が忘れられない。これからも、その優しさを保ち続けてくれる事を願わずにはいられない。


激震以降、この国が抱えていた矛盾や歪みが、欺瞞の壁を突き破り、マグマとなって虚空に噴き出した。原発事故の発生に戦慄し、汚染拡大に愕然となった。それは人間の領域を超えていた。偽の安全神話を信じようとした俺が愚かだった。人間のやる事に「絶対」はないのだ。以前にも増して「死」を意識するようになった。

かの幼児が大人になる頃、この国はどのような状態になっているだろうか?それを想像し始めると、暗澹たる気持ちになる。自分の無力さに厭きれ、絶望の底に突き落とされる。まあ、俺などが死のうが生きようが、大勢には関係ない。関係ないが、関係ある人達にまで影響を及ぼしてしまうのが、今回の事故の恐ろしさなのだ。

SF三巨星の一人―故・小松左京先生は作中で日本(列島)を竜に例えた。

『日本沈没』じゃないけど、竜の断末魔が聞こえる日も案外近いかも知れない。

悲観的な事ばかり書くなと怒鳴られそうだが、持てもしない希望を持てと言うのも無茶な話である。俺には出来ません。

胡散臭い希望よりも、現実を直視する冷静さと勇気を持ちたいと考えている。