先日。DVDで『ブルークリスマス』(1978年公開)を観た。

二度目の鑑賞である。最初は池袋の新文芸坐で観た気がする。

確か「岡本喜八追悼特集」の内の一本ではなかったか。

特撮技術に頼らずに「宇宙人侵略映画」を作ろうとした意欲を俺は買いたい。

今、迂闊にも「侵略」という言葉を使ってしまったが、宇宙人が何を考えているのか、実際のところはわからない。最後までわからない。意図的にわからないようにしてあるのである。観る者の想像力に委ねるという形が選ばれており、宇宙人が登場する場面がひとつもないという徹底振りである。この不親切さに困惑するか、面白さを感じるか。これまでの映画鍛錬を試されているような印象さえ受ける。


倉本聰の筆による異色脚本の映像化に岡本監督が取り組んでいる。

演出前に岡本監督に提示された条件はかなり厳しい内容であった。

①脚本に触れてはならない。足したり、削ったりしてはいけない。

②登場人物の台詞も一言一句変えてはいけない。

監督の個性と言うか、独自性を否定するかのような屈辱的条件にも思える。

「イヤなら降りてもいいよ。他の監督にやらせるから」という事だろうか。

倉本先生の絶対的自信が窺えるが、波乱決裂の材料にもなりかねない。

但し「削ったりしてはいけない」に関しては、先生も妥協したそうである。

DVDには―音声特典として―監督本人の証言が収録されていた。

岡本監督はこの条件を聞いて「カチン」ときた模様である。きて当然だが。

断ろうと思えば、断れた筈である。だが、岡本監督は敢えて受けた。

岡本監督はこの条件を「脚本家の挑戦」と捉えていたのかも知れない。

挑戦された以上は、堂々と応じるのが映画武芸者の正しい態度というものだ。


岡本監督は「カチン」を動力源にして、濃密な映像世界を構築している。

憤懣のエネルギーがプラスの方向に作用したのである。岡本砲炸裂である。

「青い血の人間の出現」という荒唐無稽な展開に説得性を持たせている。

配役の豪華さも『ブルークリスマス』の魅力であり、映画の厚味に繋がっている。

大物、中堅、曲者…最強クラス(当時)のメンバーが贅沢に揃えられている。

黒澤映画、山本映画にも対抗出来得る理想的布陣が敷かれている。

有力俳優を大勢集められるというのも監督の実力を示す一要素であろう。

岡本監督は出演陣の鬼気迫る表情や演技を引き出す事に成功している。

主役の勝野洋も頑張っている。俺としては、彼の代表作に挙げたいぐらいである。

今回、ヒロインの竹下景子が理髪店に勤めている理由がやっとわかった。ちゃんと意味があったんだね。この辺りの細かい設定は、流石倉本先生と言うべきか。俺みたいに頭の悪い人間でも、二順目だと映画の理解が多少は深まるようである。