俺の手元にある『米長の将棋6/奇襲戦法』(平凡社)という本の中に「えっせい」と名づけられた随筆が収録されている。
『エビガニの知能』『ギャンブル考』『モチはモチ屋』の計三篇である。
棋力向上とは直接関係のない内容だが、これが中々面白い。
米長先生は棋才だけではなく、文才にも恵まれているらしい。
米長先生が本格的な文章修行を積まれたとは一寸考え難い。
自前の感覚と知性のみを使って書かれたものであろう。
軽妙洒脱な文体と、勝負師特有の視点観点に興味を覚える。才ある者は何をやらせても巧いという事か。羨ましい限りである。
先生の文章力は、棋界中でも突出しているのではないかと思う。本業たる戦術解説にも、その実力が生かされている。血肉の通った文章であり、読んでいてワクワクするのである。駒を盤上に並べて読み進めてみると、迫力と臨場感が更に増すだろう。合戦(対局)に臨む武者(棋士)の心理が、極めて的確に表現されている。
米長先生の随筆集のようなものが出版されていないか、今度探してみよう。
十年ぐらい前だろうか。一度だけ米長先生の姿を拝見した事がある。
最初は役者かと思ったら違った。憧れの米長大先生だったのである。
場所は主要駅の構内であった。先生は公衆電話を利用されていた。
俺も急いで電話をかけなくてはならない状況にあった。
設置電話数台の内の一台を選び、財布からテレホンカードを出した。
受話器を取り、無意識的に周囲を眺めていたら、傍に先生が立っていた。
記すまでもないが、先生から見れば、俺などは風景の一部に過ぎない。
先生は忙しい。用件を済ませると、足早に雑踏の中へと消えてゆかれた。
当時の俺は携帯電話を持っていなかった。
今や「携帯なしの生活」は有り得ないが、この頃、俺は酷く嫌っていた。
単独行動を好む俺にとって「他者との繋がり」は邪魔でしかなかった。
現在も通話機能をほとんど使わないのは、この時期の名残りであろう。
あの時、携帯電話を所持していたら「先生との遭遇」はなかったと思う。