スティーヴン・キングの小説は映画の題材として選ばれる場合が多い。
はっきりした理由はわからないが、キングの小説に映像作家の意欲を駆り立てる魅力や魔性が秘められている事は間違いなさそうだ。
俺も何本かキング原作の映画を観ているが「面白かった」という印象が強い。
キューブリックの『シャイニング』(1980年)は別格として、その他の作品も好きである。愚作や失敗作も多分あると思うが、幸いそれらには触れず、今に至っている。
先日観た『デッドゾーン』(1983年)も素晴らしい出来映えであった。
過去や未来を透視する能力を得た(得てしまった)男の物語である。
自身の能力を忌み嫌っていた主人公が―恐るべき未来像を幻視し―人類破滅を阻止する為に立ち上がる姿は感動的である。
約1時間40分の枠内に大作級の内容が盛り込まれている。
苦悩するエスパーをクリストファー・ウォーケンが巧演していた。
敵役に扮したマーティン・シーンの憎々しさも映画に厚味を加えている。
「未来を見る」という事は「未来を変更する資格」を与えられるという事だ。
主人公の行動が「歴史の修正」なのか「改悪」なのかは誰にもわからない。
主人公の決断が「絶対に正しい」とは言い切れないところが興味深い。
主人公の介入を「受けなかった歴史」は、その時点で潰れてしまうのか?
進路を変更した副作用(反作用)が過去や未来に現れるのではないのか?
滅びるべき人類が生き延びると「宇宙史」に影響を及ぼすのではないのか?
映画が面白いと、そういう余計な事(バカな事)を考え出すのである。
本来なら原作と映画の対比を展開したいところだが、それは出来ない。
何故かと言うと、キングの小説を一字も読んだ事がないからである。
原書を読むのは無理にしても、訳書(日本語)ならば何とか読める。
原作を読む事は、映画版の理解を深める助けにもなってくる。
映画がキッカケとなり、小説の方に関心を覚える人も当然いるだろう。
「映画を観る」という事はそのような派生行動も含んでいるのである。
池波(正太郎)先生の指南書の意味が、最近少しわかってきたようである。
キング先生はキューブリック版『シャイニング』の仕上がりに大層御不満とか。
スティーヴン・キングはひとつだけ過ちを犯した。
事前に気づいていれば「悲劇」は避けられた筈である。
キューブリックに自作を提供した段階で「世界観の崩壊」は始まっていたのだ。
かの鬼才が原作を尊重するような殊勝さを持ち合わせているとはとても思えない。
映画が完成してから、揶揄したり、不平を並べ立てたりしても、もう遅いのである。
覚悟が定まらない内は決して彼に権利を渡してはならないのである。
キング先生が『デッドゾーン』の主人公と同じ能力を備えていたら、映画化の話は取り止めになっていたかも知れないですね。 キューブリック、激怒しただろうな。