先日。DVDで『借りぐらしのアリエッティ』(2010年公開)を観た。

企画&脚本は宮崎駿。監督は若手の米林宏昌が抜擢された。

血しぶきやバイオレンスも結構だが、たまには平和な映画も良いものである。

適時に冷却(解毒)期間を設けないと、本当に頭がおかしくなる。

今や日本映画最大の稼ぎ手となってしまったスタジオジブリだが、内容的には迷走を続けているような気がしないでもない。

スタジオジブリは「アニメ界の東大」なんだそうである。

才能豊かな人材が全国から参集し、研磨研鑚を重ねている。

「最盛期の東映動画に似ている」という指摘を関係者から聞いた事がある。

恐らく、アニメーション技術としては、世界最高水準に到達しているのだろう。

だからと言って、映画としての面白さに即繋がるとは限らない。

映像と物語が円滑に噛み合わなければ、映画的躍動感は生まれない。

ある時期から、ジブリ作品に「冒険」だの「活劇」だのを求めるのは止めにした。

ジブリも宮崎監督もそのような段階はとうに通過しているからである。

求めたものとは違うものが出てきたからと言って、不貞腐れるのも大人気ない。

彼らが何を目指しているのか、何がやりたいのかは、凡人たる俺にはわからない。

わからないのだから、過度な期待は持たない事にした。それでも、新作が公開される度に「観たいな」と思わせるところが、ジブリの魔力なのである。


『借りぐらしのアリエッティ』も機会があったら、劇場で観ていた可能性がある。

しかし、幸か不幸か、その機会が得られず、一年以上遅れての鑑賞となった。

人間世界と小人世界―物語の舞台はほぼ限定されている。

俺の好きなタイプの映画である。舞台が彼方此方飛ぶと把握が難しくなる。

二つの世界は密接に関係しており、手を伸ばせば充分届く位置に存在している。

日本家屋の地下に「西洋妖精が住んでいる」設定に若干の違和感を覚える。

彼らは何処から来たのか?彼ら独自の言語や文化はあるのだろうか?

この違和感を、さっさと、捨て去る事が『アリエッティ』を楽しむコツである。

他社の作品ならば、このような感覚を覚える事は少ないのではないか。

リアルな方向に進めば進むほど、荒唐無稽な展開が描き難くなってくるのだ。

とは言え、小人家族の生活描写などは「さすがジブリ」と唸らせる精巧さである。


映画の中盤、病弱少年がのたまう「滅びゆく種族発言」には肝を冷やされた。

油断を衝かれる形になった。安全無害な映画だと勝手に決めつけていた。

さて「滅びゆく種族」とは誰を指しているのだろうか?小人族か。或いは人類か。

激震後の世界を生きる者としては、後者に思えて仕方がない。

小人族は案外に強かである。次の玉座を狙っていないとは断言できない。

人類が自滅してくれれば、満更絵空事ではなくなってくる。

滅びを加速させたいかのような動きを見ていると、推進者の正気を疑いたくなる。

汚染された国土の上に白骨の山を築いてでも、彼らは威張っていたいのだろうか。

この映画が大震災の前年に公開された事に注目したい。

企画者の鋭敏な精神レーダーは、既に「未来を捕捉していた」のかも知れない。