激震が引き起こした大被害に列島全体が揺れている。

被ったダメージの大きい小さいはあるだろうが、日本に住んでいる以上、その余波から逃れる事は出来ない。

新聞、テレビ、ラジオ…深刻な情報が日々伝えられている。

「オレは知らない」「オレには関係ない」などと、居直りを決め込んでいるバカ(或いはアホ面)は流石にいないと考えたい。

被災者の方々は大変な苦境に置かれている。

福島原発の復旧作業も難航しており、未だに光明を見出せない状況である。

このような時に破滅SFの紹介など、不謹慎の極みのような気もするが、敢えて書いてみようと思う。

タイトルは『復活の日』である。

我々にも復活の日が訪れる事を信じて、書いてみようと思う。

作者は日本SFの総大将たる小松左京先生。

小松先生はこの予言的大作を1964年に完成させている。

深作欣二が映画化を手掛けるのは、その16年後である。

映画版を観たのは、今から7年前、テレビの深夜放送であった。

映画版も結構面白かったが、原作の厚味には及ばない。


『日本沈没』『見知らぬ明日』『ゴルディアスの結び目』等々、小松先生は多くの傑作秀作を発表している。

後身作家に与えた影響も絶大。その作風は大和級の重量感に満ちている。SF界の主力戦艦―小松左京。

白状すると、俺はある時期まで小松作品を苦手としていた。

巨大スケールを誇る物語には魅力を感じるのだが、難しいところ―専門的、科学的、哲学的な部分に差し掛かると、拒絶反応が生じてしまうのである。

頭の悪い俺にとっては「地雷原」のようなものであった。

小松作品を真に楽しむ為には、その地雷原を越えられるようにならなければならない。

娯楽性と学術性の奇跡的調和こそが、小松作品の最大特徴だからである。

最近は―わからないなら、わからないなりに―読み進められるようになってきた。訓練(?)の成果である。

『復活の日』は細菌兵器の脅威をテーマのひとつにしている。

殺人ウイルスの暴走による人類社会の崩壊過程が綿密に描き込まれている。

人間の持つ悪魔的英知が作り出したバケモノ―MM菌が、最強最悪の死神として、人間世界を蹂躙する。

その迫真性に息を呑む。処理の追いつかない死骸遺骸の腐敗描写に背筋が凍る。強烈な滅びのイメージに戦慄を覚えた。

現在の危機的状況を考えると、この物語は「虚構」「絵空事」ではなく「現実の話」として捉えるべきだろう。

バケモノを制御出来ている内はまだ良い。

心配なのは「監視網―管理網を突き破った怪物」を、人類は再捕獲出来るのか?という事である。

そして、統御不能状態に陥った際に「何」が起きるのか?

『復活の日』は多角的な読み方が可能な作品である。

小説も映画も優れた作品は不朽の光沢を放ち続ける。