恩人を裏切るような真似をしてはいけない。
先日。俺は大失態をしでかした。
どうしてこういう馬鹿げた行動をしてしまうのか、自分でもわからない。
いや、本当はわかっているのだ。
心の何処かに驕りがあるからである。油断があるからである。
対人関係については、緊張感を持って臨まなくてはならない。
信用や信頼を築くのには大変な時間がかかるが、その崩壊は一瞬である。
生来の厚かましさが、表に噴き出してしまったのだ。
自爆してバラバラになるのは構わない。砕け散るのは「俺だけ」だからだ。だが、他人を巻き込んではいけない。まして、知人友人を巻き込んではならない。
最近、自分の倣岸さをコントロールする術を修得したような気になっていたが、実際は修得などしていなかったのである。
また最初からやり直しである。一から出直しである。
敵に対しては、非情冷酷であって良い。
口を利く必要もなければ、指一本動かす必要もない。
しかし、味方や仲間に対しては、誠実に接するべきである。
愚鈍過ぎる俺の行動態度にも、映画通A氏は寛大であった。
世の中には心の大きい人がいるものである。が、氏の寛容さが痛くもあった。
その日はA氏の御厚意により、極めて興味深い映画を三本観る事が出来た。
否、偉そうに「観る事が出来た」などと書いてはいけない。何様なのだ、お前は。
「観させていただいた」が正しい。
A氏は一本目の冒頭部分(映画の導入部)を観逃してしまった。
この日の上映作品の中で、A氏が最も注目されていた映画であった。
俺のせいである。俺の責任である。責任だって?これは『罪』ではないのか?
この罪を俺はどう償おうというのだろうか。
覆水盆に返らず。そう簡単に償えるわけがないのである。
俺はA氏の鑑賞活動を妨害したのだ。俺は今、頭を抱えている状態である。
この日の三本は俺の境遇に合わせたかのように「罪と罰」が主題になっていた。
心にグサリと突き刺さってくる映画が揃っていた。罪人の俺にはしんどかった。
罪というものは、犯してしまった時点でオシマイなのかも知れない。
人は罪を犯さないように注意し、その方向へ努力すべきなのかも知れない。
ともあれ、先日の失態は論外中の論外であった。
もうこんな事はやめにしなくては…。その内、誰にも相手にされなくなるぞ。